やっぱりあなたは笑ってるがわにいなさい
2010年8月24日(火)
暑い日が続いていますね。でも、夜に吹く風の中に、ときおり秋が近づいていることを知らせる瞬間があります。僕の好きな季節が、もうそこまで・・・
祖母の三回忌があり故郷の大分に日帰りで帰りました。なんと今月は次の週にも大分での講演会があるのです。
故郷の大分に仕事で行くことなんか5年ぶりくらいです。同じ九州の博多には毎週行っていても、ふるさとは遠いですね。重なるときは、重なる意味がありますね。
人前で話す仕事をしていても、ふるさとに帰ると、昔の人たちの話を微笑んで聴いているだけです。ステキなセピア色に輝いた写真のように、誰にも、幼く若い時がある。そんな、人々のお話は、僕には何よりも心地よい・・・
今回の大分の旅は、僕に力をくれました。
実は最近、僕は疲れていました。
公認心理カウンセラーのライセンス発行手続きをしていて残念な話が耳に入ります。
三年前に公認心理カウンセラーが社会的に問題を起こした。その人は6年前から、ほとんど教室にもメンタルにも顔を出していない卒業生でした。これからは公認カウンセラーにも時より顔を出してもらってface to faceで顔色や、笑顔に変わりがないかを確かめるための公認更新制度を導入すると、マイナスの部分にのみフォーカスがあたる人達は怒りだす。
このような人は、メンタルで何を学んだのだろうと思ってしまいます。ライセンスがあっても、笑顔のない人、いつも、前向きで明るい人でないとカウンセリグを誰も依頼しないし、後ろ向きな人に誰も魅力を感じないと講座で語ってきたはずなのに・・・
どんな資格でも、ライセンスが仕事をくれるわけではない。その人柄に対して、人や仕事はついてくるのだと・・・
ゲシュタルトの心理で円の欠けている部分を探す人たち。そんな人たちは人生のどの場面でも何か欠けたところを探す。
公認審査は、社会で問題を起こすカウンセラーが出ないことのチェックになり、公に一生懸命に活躍しているカウンセラーの立場を守れるというプラスの部分は探そうとしない。自分が間違っていないと、陰で何かを攻撃しはじめます。
各地の教室がキャンセル待ちになってリピーターが入れないので、広いところに教室を作ると、メンタルは拡大路線、金儲けに走ったのかと言われ、教室が満席でリピーターが入れない状態がつづけば、全員入れるように教室を広げるべきだと文句を言われる始末。
文句を言いたい人は、どうしても文句を言いたいのだと学びました。
自分が正しいと思うと人は感情的になり、自分の正しさを確認するために、マイナスな部分を数える人々と集まろうとする。残念なことに陰で。
僕はなるべくゴシップ好きな人々とは関わらないように生きてきました。
それは、こんなことが昔にあったから。
僕にはあこがれた先輩カウンセラーがいる。
アメリカで彼の車が傷つけられたことがあった。闇に乗じての犯行を怒る僕に、車を傷つけられた彼は「おい、おい。クルマを傷つける人間でいるよりも、クルマを傷つけられた、まともな人間でいるほうが、人生は幸せだと思わないかい?」
なんで、クルマを傷つけられることが幸せなのといぶかる僕に、彼はつづけて「傷つけている人は、一生を通してそんな人生になるものだよ。だから、傷つけられた側の方が人生ははるかに幸せな人々が多いものだし、影に隠れて、何かを傷つけて楽しむ人はそんな楽しみしか持たないということを自分の行動を通して確認しているのだよ。それは、とても淋しい人生じゃないか。そんな哀れな人生を過ごす人には、そんな人生になる不幸が今まであったのだろうし、自分自身が今までそんな人生でなかったことを喜ばなきゃいけない」と彼は僕を諭して笑った。
僕はその人にあこがれた。
成功者には共通点がある。それは批判家ではない。
自分をみじめにするのは、その自分の行為からです。
マイナスな言葉をネガティブサイトに名前が出ないと知りつつ投稿する瞬間、マイナスな陰口を仲間と言っている時。陰で車を傷つける行為。新幹線の中で怪しい袋とじを開いている人を見ていて、その人の後ろ肩が淋しそうだった。いかにもコソコソって感じで。その瞬間の顔は美しくはないし、先輩が言ったように、そのような人生がこれから待っている。いや、引き寄せている。
だから、僕はときおり、笑顔の多いところに行くことが大切だと思う。
離れていると、見えなくなるものがある。自分が正義だと思っていても、人のいないところで語れば、それは、正義ではない。
正義を口にしている自分がズルイ瞬間にいて、不正だと言いながら、自分が不正な情報を流していることもあるからです。
今年の公認の更新にあたって、そんな公認メンバーによかれと思った公認審査に対し、一部のネガティブな批判に、僕は少し疲れていました。これも、欠けているところを見ているゲシュタルトですね。ほとんどの公認メンバーは、明るく活躍しているのに。
そんな欠けた所に意識が向きだした僕に、故郷が呼びもどしてくれたのかもしれません。
これからが本題なのですが・・・。
それは、祖母の三回忌。この旅は、僕自身を癒す旅でした。
僕が幼い時に別れた両親との再会の旅でした。
今回は祖母の三回忌だったので、母の墓には立ち寄る時間も、そこに行く車もないとあきらめていました。
ふと父が、「婆さんの三回忌は昼過ぎには終わるから、クルマを貸しちゃるけん、母さんのお墓参りに行くなら行ってこいよ」と・・・2年前、祖母の葬儀の時に「朝早くフェリーが着いたから、はじめて子供たちを連れて母の墓参りに行ってきた」
もう祖母がこの世にいなくなったので隠す必要がないと思って母の墓参り言ったことを伝えた。その僕の言動を憶えていての優しい父のセリフ。
僕はとっさに、清水の舞台から飛び降りるつもりで「父さんも一緒に行かん?行ってくれると嬉しいんだけど・・・」
父は「行こうか」と答えた。僕は故郷、大分の青く広い空を見上げた。僕には一瞬「行こうか」が「帰ろうか」に聞こえた。「帰ろうか」「行こうか」「帰ろうか」「行こうか」・・・リフレインのよう。
短い言葉。長年求め求め続けた言葉・・・涙が目からこぼれないように「行こう」と返す僕。
昔の家族のところへ「帰ろう・・・」
父の運転で、母の実家に向かう。道を教えなくても、田舎道を運転する父。そう僕には知らない歴史を向かう道。そう、やっぱり父は道を憶えていた。
若かった二人が、昔通いあった道だから・・・胸がしめつけられるような苦しみという言葉があるが、胸がしめつけられるような感動・・・母の実家を過ぎ、僕が示す桜の木の下にある母の墓へ・・・「ねぇ、あそこの桜の木の下」桜がいつも咲くところにある墓。運転する父を見ながら、何度も夢ではないかと桜の木を目指して細い農道を進む。
なんて言えばいいのだろう。「母さんうれしい。父さん、連れてきたよ!」と心の中で叫ぶ。「父さん、今も抵抗がある? なつかしさ、それとも、僕のためなの・・・」と父を気遣って心で問い続ける。でも、現実は、僕は何も言えないまま、テキパキと花を袋から取り出す作業に意識を向ける。
花をさす石柱のくぼみに、僕が無造作に花を挿そうとすると「信之、もっと短く折らなぁ、長すぎる。かしてみ」と手をさし出す。僕は感情の高ぶりで手が震えないように、なにくわぬ様子で父に花をわたす。母にたむけるであろう花束の茎を父が短く折る。
昔、愛した人のために・・・そして、僕はそれを何でもなかったように受け取る。
お墓に向き直り石柱にあいた水差しの穴に入れる、祈りながら・・・父から息子へ、そして、母へ。心がバトンされる。何度も感情がこみあげ泣きそうになる。そして、作業に集中するふりをして涙を止めるのに僕は必死。
幼い頃のように両親と一緒の時。父と手を合わせながら、心の中は感動の波が押し寄せる。永かったね。こうして両親と一緒に過ごす何げない日常にたどりつくまでが・・・・「お帰りなさい」と母が言った。「ただいま」と僕。
ただ、これだけのシンプルな時間がなんて遠かったことだろう。
僕のこの身体は、この隣で手を合わせる父と、今、墓に眠る母の二人の優しい愛から生まれた。そう間違いなく・・・
僕は手を合わせながら、自分の中で忘れていた大切なものを、見つけたような気がした。こんなに普通の家族で過ごす日常が、奇跡なのだと知った。幼かった僕の夢。
今、この手のひらに戻った。
遅すぎましたか?今だからちょうどいい?でも、これでよかった何もかも・・・
失くしていた何かが僕の中で融合した。僕は永い歴史の中で、二人の愛の証人として生まれた。
そう、人は誰しも愛の証し人なのだ。
僕は涙を見せないように、そこにあった落ち葉を拾って立ちあがった。さぁ、行こう。夢が冷めないうちに・・・
石の横に刻まれた、母の死没の日付を見ている父に、「母さんが死んだのは僕の誕生日。ほら2月22日」ながめる父。どう受け取られるかを心配した僕は、その後に書かれている祖父の死没の日付を指し、「お爺ちゃんは可哀そうだったね。自分よりも先に娘が逝くのだから・・・」僕の祖父と、娘の夫であった父。 そこにも僕の知らない歴史があるのだろう。
すべては残暑が残る光の眩しさにかき消されそう・・・それでいい。わだかまりのすべては消え去る。
人の、悲しみ、憎しみは、時の彼方へ消えればいいと思った。
すべては昔のかなたに・・・、今はすべて昇華されて美しい光になれと祈る。
父が「まだ、ここに水があるから。暑いから全部かけとけ」僕は、うながされて墓に水をかける。父の優しさと共に・・・母の眠る石塔に・・・そのしずく一つ一つがキラキラして、失われた歴史のように輝いて見える。それらが、美しい思い出のかけらのようで・・・。
僕らはパワースポット。
それは、自分が愛の瞬間に生まれたということを感じること。
愛は、自分の身体の温もりに残っている。
孤独な時は、自分の身体を抱きしめればいい。それは、誰かと誰かが愛し合った瞬間から生まれた命。
今はたとえ別々でも・・・瞬間の中に人生はある。
若かった頃の祖母が、息子可愛さ、孫のふびんさに言った「私の目の黒いうちは、お母さんにあわせない」のセリフ。でも、今ではわかる。憎しみからではなく、自分が孫を育てて行くのだという決意が祖母にそう言わせたことを。
その祖母からの三回忌の贈り物。目に見えない計らいのような気がした。
「のぶくん、よかったね。そして、大分にお帰かえりなさい。」
残暑の大分への里帰りは、人の心の移り変わりに落ち込み、傷つく、僕にエネルギーをくれました。
「それでも、あなたは笑って過ごしないさい」と・・・母の教えのように・・・
★【事務局より】このひとりごとに関連する過去のひとりごと★
●1999年 2月25日 誕生日に母に贈るレクイエム(実母の死)
●2000年 3月30日 真実というペルソナ(マスコミ報道の影響)
●2002年 4月30日 そよ風のように・・・(正義を信じる怖さ)
●2002年10月10日 真実の怖さと嘘のやさしさ(ゴシップの怖さ)
●2008年 8月11日 思い出のゆくえ(祖母が病気と知らされた時)
●2008年 9月16日 さよならの季節(祖母の死から想うこと)
●2009年10月21日 二つの世界~陰陽説~(後ろ向きな人々)