見守るという祈り
2010年7月27日
「親」と言う字は、木の上に立って見ると書きます。育てるというのは、相手の現状を知り、導きながらも、相手の成長を「待つこころ」が必要になります。
よく「何度言っても、子供が言うことをきかない」と親の悩みを聴きますが、いくら努力をしても、すぐに効果が出ないのが自然の掟(おきて)なのです。
人間関係も同じです。相手が「人」という自然である以上は、こちらが望んだように導いても、スグには成果はでません。
路面に降る雪は、路面に落ちるとすぐに溶けて無くなります。でも、この消えて、溶けた雪たちが、路面をゆっくりと確実に冷やしてゆく。その結果、路面が冷えてゆき、落ちた雪が溶けない状態にまで完全に路面が冷えた時に、はじめて雪は目に見えて積りはじめる。そして結果が見えるのです。
ですから積るという目に見える「結果」は、目に見えない溶けた雪たちの努力の「目に見えない」くりかえしがあってのことなのです。
その結果をすぐに見たいと思う指導者は教育を理解していません。待てない親たちは、子供を「ダメね」「バカね」「どうして出来ないの」「また、結果がでないじゃない」と、相手の成長の遅さにイラダチ責めてしまうのです。
自分自身をふり返っても、昔、周囲の大人が言われていたことを、何かのキッカケで思い出し、「本当にそうだなぁ」と気づいたり、「昔の人はよく言ったものだ」と感心することがあります。それも、幼い僕の心に伝えてくれた周囲の教えがあってのことなのです。誰も教えてくれなければ、僕の心の片すみにも教えは存在しないのですから。感心したり、気づく瞬間もおとずれません。
とても有難いことに、誰かがかつての僕に、大切な教育の「種」を植えてくれたことで気づきが「芽生える」のです。
僕は教育とは、「目に見えないタイマー付きの時限爆弾だ」と親たちに話します。爆弾(教育)は、発火(気づき)が起こり、そして爆発(変化)が生まれる。それが、いつ?なのかが誰にもわからないのです。それは、親も本人である子供自身も、わからない。
いつかの来るであろう理想的な成長を祈りながら、子供には、親が信じることを、たくさん語り、伝えないといけません。でも、伝えたとしても、すぐには子供は結果がでない存在だし、親の日々の「言う」ことと、親の「行動」への矛盾を感じた子供は、それを素直に受け取るかどうかは誰にもわかりません。
でも、あきらめないで、自分と子供の成長を互いに見つめながら(共育)、いつか教えが発火して、相手に変化が起こると信じて、たくさんの思いを仕掛けないといけません。あきらめないで、語り続け、いつなのかわからない気づきの大変化を祈りながら。
「あせる心」は教育を失敗させます。きっと、この子は大丈夫と信じる気持ちが、教育には一番大切なのです。
「人智をつくして天命を待つ」と言う言葉があります。
人も自然界で生きる以上、やれることをしっかりとやったら、後は、その人の中に眠る、爆発的な成長力を信じて待つしかありません。
だからこそ、教育は、『祈り』なのです。
僕が知っているインディアンは、よく祈ります。自然に生きる人々は、待つことを知っています。彼らの食料のバッファロー(水牛)の群れが、いつ来るのか、いつ雨が降るのかは、努力だけではダメなのです。待たなければ・・・・。
だから、彼らは、よく祈ります。なぜなら、種を植えても、時が来ないと、芽を出さないからです。
話は変わりますが、今の日本は「待てない」のです。教育も、政治も、経済も、すぐに結果を出せという大ブーイングが日本中に渦巻いています。
普天間基地の問題も、マスコミが「いつ?」と回答をあせらせる。鳩山総理が5月までと言うと、そこまでに結果を出せと大騒ぎをして人気を落としてゆく。景気が上昇しないと大衆は大騒ぎし、G8に参加してギリシャ破綻を肌で感じていた管総理が、日本の破産への加速をゆるめるための財源として消費税の必要性を語ると、「何パーセントか?」と話し合いで決めてゆく話をマスコミがせっつく。「10パーセントくらいだろうか」と、目安を言うと、不平等の問題点を多くの論客が語る。だから、「こうしたら良いのだろうか」と言うと、また、「ぶれた」と大騒ぎする。安倍総理、福田総理、麻生総理、と自民党の各総理から鳩山総理まで「ぶれている」の大合唱でつぎつぎと葬りさる。
それを恐れてマスコミに対して口を閉じると、「ビジョンを語れ」と怒りだし、想いを語ると、問題点をあれこれ見つけだし、そのことに「こうしたらどうだろうか」経過の途中で聞かれたから語ったことを、「ブレル政治」とマスコミがこぞって大衆をあおる。
そして、落ちてゆく支持率の数字をチラつかせて、日本の「みんなが言うことが正義だ」「赤信号みなで渡れば怖くない的」国民的集団心理を無自覚にも操作する。もちろん、マスコミにも、その自覚性はないのかもしれない。そこに僕は恐ろしさを感じとる。
連日マスコミが「金の疑惑」「リーダシップなき総理」「ブレル政治」「結果を出せない政治」と、ダメなところを連日見続けさせられると、誰もが未来に希望を感じなくなる。未来はよくなると信じるから人は生きられるし、希望が持てるのです。日本の未来に希望が持てない若者の自殺者は増加傾向にある。僕が幼い頃は、今日よりも明日、明日よりも未来は美しいと信じていた。
僕は個人的には強い支持政党はないけれど、今のままでは、どこの政党が与党になっても、上手くいかないと思っている。
大衆が、時間をかけて育てること、失敗をして、そして学ぶ政治を待つことができないと、世界の中で、日本は信用を失ってしまいます。いや、すでに国際的な信用は落ちています。この難しい国際情勢の中で、今のままでは、ますます国際社会の中で日本の政治は漂流してしまうでしょう。
そして、連日、大衆の意識の変化に連動して、支持率が猫の目のように変わる。だから、政権が根本的に変わる可能性がある総理とは、どこの国のトップでも真剣に未来のことを語る気にはなれない。
オバマ大統領が、支持率を失いかけている政党の総理と5分しか時間をとらないのも当然の結果。なぜなら、何を話しても、また、次の時には別の総理と話すことになるのだから・・それが当然の国際感覚です。
そのような事象だけをマスコミはニュースとして流し、もっともらしくコメントします。
未来を信じて育むこともせず、自分たちのことを反省もしない、移り気な日本国民。さらに、マスコミは「世界から相手にされない総理だ」と合唱を唱える。その結果、さらに総理は支持率を落としてゆく。支持率が落ちてゆくから、どこの国も、また日本のリーダーに敬意を表さなくなる。そして、マスコミは「総理にリーダーシップがないからだ」とさらに責めて支持率が落ちる。この悪循環に入り、日本国家は国際社会の中で漂流するのです。
今の日本に蔓延している病は、「待てない人々」の苛立ちです。
会社も「売り上げを上げろ!」「数字を落とすな!」とトップが指示を出す。すると数字を落とさない安全な、売れ筋を作ろうとして、どこのメーカーも無難なモノを作ろうとする。だから、今、日本の「モノづくり」は同じような商品しか生産されないので、どこのメーカーも同じようなモノに見えて、僕は欲しい、買いたいとは思わない。
そこに、アメリカのアップル社の出す、iPodやiPhone、iPadが飛ぶように売れている。経営者自身が、「欲しいモノ」を失敗しても開発したい。ペンなんてカッコ悪い。二本の指で見たいものを広げたい、できればもっと多くの指を検出するモノを作ろう。ボタンは一つだけ!いろいろなボタンは必要ない。お年寄りから子供まで分りやすいし、何よりカッコいい。
経営者ジョブズは「それがクールだから」で会社を、ユーザーを引っぱってゆく。彼は、売り上げ、商品開発の難しさや、失敗した時のリスクなんて考えていない。思いつきや、変化するマインドが作りだすものが、新しい未来を作ると信じています。
高度経済成長で伸びていた頃の日本は、失敗を恐れないで、チャレンジングな人々の想いが、世界を驚嘆させるモノをつくり出してきた。だから、世界中が「made in Japan」を争うように購入したのです。今の日本の成果主義は、その失敗の可能性のあるリスクを背負うよりも、確実な売れ筋を作ろうとする。だから、とんでもないモノは日本からは生まれにくくなっています。
良い、悪いは別にして、なんちゃってミッキーや、とんでもないドラえもんを作って、生きるために、何でもトライする中国のほうが、今は明らかに爆発的なエネルギーを感じるし、新しいモノが生まれる息吹の鼓動を感じてしまうのです。
「変化」を「ブレル」と言われ、「思いつき」は「明確なビジョンがない」と言われ、批判される今の日本社会では、これから半世紀は混迷の時代を続けるかもしれないと思っています。
育てることは、信じること、待つこと。そして、ブレを受け入れること、失敗をすぐに、あげつらわないこと。
今の日本の集団ヒステリー社会を、僕は大いに憂う。
願わくば、日本の混迷というゆらぎも、失敗をくりかして、ゆるぎない未来を作ることへの大きな流れのプロセスだと祈りたい。
なぜなら、育てることは『祈り』だから。