誰にもひとしく・・・・ | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■誰にもひとしく・・・・
2008年7月4日



 わがままな時代・・・・・自分の思うようにならないとキレる人が多くなっています。未熟な人ほど思うようにならないと怒りだす。子供が砂場で、おもちゃを取り上げられると、取った子どもを叩こうとするのと同じ。原始的で幼い反応パターンです。

 試合に負けて、ラケットを放り出すと、試合の結果よりもマナー不足とルール社会では責められます。ティーンエイジャーが、父親に「今日は、車に乗るな」と言われて、車のキーを投げる瞬間。叱られた人が、バタン!と音をたててドアを力いっぱい閉めて出てゆくなどの行為は、思うようにならない時の幼児的な反応です。

 モンスターペアレントと言われる親たちのクレームも幼児性の延長線上にある。
「給食を出してと頼んでいないのに、給食費を払う必要があるの!」
「卒業アルバムに自分の子供の写真がどうして少ないのか!」
「なぜ学芸会でうちの子どもが脇役なのか!」
と我が子が中心で、それ以外の生徒や現実が見えていない。

 恐ろしいことに、このようなクレーマーは、「自分が正しいことを言っている」と思っているところに問題の深さがあるのです。人は正しい時ほど、相手を攻撃する勢いも強くなるものです。

 人生が思うようにならないからと、怒りを無差別に向けて、通りすがりの人を切りつける通り魔殺人。思うようにならない未来を悲観して、自分の一家を惨殺と・・・

 耳をふさぎ、目をおおいたくなるようなニュースが街を駆け抜けてゆく・・・・・

 命の重さが軽くなっている。他人の命の重さだけではなく、自分の命の重さに対しても同じように軽薄になっています。それは、現代の3万人を超える自殺者の数を見てもわかります。
 この間までブラウン管の中で笑っていた人が、いとも簡単に自分で自らの命を絶つ。

 「人生は重い荷物を背負って、坂道を登るようなもの」と言ったのは徳川家康だが、今の時代は勝ち組で当たりまえ。うまくことが運んで当たりまえ。思うようにならないことは努力で何とかすべきだと。 今は、自然や命ですら文明はコントロールしようとする。

 コントロール社会と言われて久しいが、現代は文明が何でもかなえてくれる。夏は冷房で涼しく、夜中でもお店は開いている。携帯電話で遠くの人ともすぐに会話ができる。車に乗って軽くアクセルを踏めば、どこでも行ける。幼い時から勉強さえしていれば誰にも責められず、好きな物を買ってもらい、親までも子供の思うままにコントロールできる。

 すべてをコントロールできる社会の中で育つ子供は、人生の中でコントロールできない人間関係や人生の挫折に対して耐える力を失いつつあるようです。

 今や「忍耐」や「待つ」は死語になりつつあります。交通機関だって時間通り到着するのが当たりまえ。メールの返信も長時間待てない。
 思うようにならない時の原始的で動物的な反応は「逃避」か「攻撃」です。待つとか耐え忍ぶとかの能力が現代人は弱体化し始めている。

 過酷な自然の中で暮らしている人たちは、忍耐強い。なぜなら、自然という巨大な営みの中では、人は思うようにならないことだらけです。インディアンやアボリジニ、アイヌの人々はそのことがわかっています。

 自然界では、突然の雨。もちろん、逆に思うように恵みの雨が降らない時もあります。強い風で苗は飛ばされ、思うようにバッファローの群れはやってこない。突如、襲いかかる野獣。落雷、地震、ハリケーンと・・・・そんな荒削りの自然の中では、耳をすまし、意識を集中し、耐えて待ち、チャンス到来のために自分を鍛える。

 自然の中で生きている人々は、思うようにならない逆境の中で生きるのが人生だと知っています。そう「明らめ」を・・・・明らめは、後ろ向きな言葉ではなく、どうしようもならない時はジタバタしてもしょうがない。このどうにもならない事実を明らかに知るという意味だそうです。しっかりと現実を受け入れる前向きな姿勢なのです。大いなる自然には、攻撃やクレームも役に立たない。そのことを彼らはよく知っています。その事実を陽の光の中でしっかり照らし出す。これが明らめです。

 きびしい自然の中でこそ鍛えられるのが「忍耐力」と「精神力」です。でも、今、人は科学テクノロジーの中に暮らしています。人工環境の中で生きているのです。

 今日のように何でもコントロールされた人口環境の中で、唯一残された自然は人間です。学校は「思うようにならない他人」とどう付き合うかを教えるところなのです。
 人間は思うようにならない自然です。身近な家族でさえコントロールできないのです。これが現実です。明確なる明らめです。

 人間は、『人の間』と書くように、人は人の「間」、関係性の中で、心の筋肉を鍛え、精神力を鋭敏にします。今や「人」を通してしか人間は鍛えられないのです。その中で初めて出会うストレスが人間関係です。親は思うようになった、でも、他人は思うようにならない。

 その事実に耐えられない人が「引きこもり」か「意味なく誰かを攻撃」をします。攻撃の矛先は社会か、見ず知らずの人か、思うようにならなくなった身近な人かもしれません。
 または世の中に背中を向けて引きこもるか、自分がこの世界から逃避し自殺を選ぶのかもしれません。

 今の時代は心の耐性(メンタル・トレランス)や欲求不満の耐性(フラストレーション・トレランス)を身につけることが大切なのです。苦しみに耐える能力です。

 人生は上手くいって当たり前と思って生きている人は、人生につまずいた時に「自分だけが、なぜ」と被害妄想に取りつかれます。人生は山あり谷ありで、誰もが悲しみや挫折の中で生きている。「なら、誰もが苦しみに歯を食いしばって生きているのなら、自分も同じように耐えてやろう。生きてやろう!」そんな力がわいてくるかもしれません。

 昔、子供を失って苦しむ母親が、「子供を生き返らせる薬をください」と半狂乱になっていた。その女性にお釈迦さまが言った。「私が子供を生き返らせる薬を作ってあげよう」そして、その薬の大切な材料を探すことを、その母親にまかせた。その材料とはカラシ種でした。ただし、この人を生き返らせる不思議な薬は、ただのカラシ種では作れません。町を探しまわって、死人が出たことのない家の、カラシ種で作らねばなりません。

 でも、どんなに母親が探してみても、悲しみを経験しなかった家は見つかりません。なぜなら、誰でも多かれ少なかれ不幸を経験しているし、どの家でも、過去に死の離別を経験していたからです。その中で人々は、生きているのでした。

 そのうちに子供を失って半狂乱になった女性は気づいていきます。悲しみや苦しみを経験しないで生きている人なんて、どこにもいないと・・・・・・誰もが悲しみの体験を乗り越えて生きているのだと。そして、この母親は悲しみから立ち直っていく。

 カウンセリングをしていると、誰にも悲しみがあり、重い荷物を背負って、何とか生きているのがわかります。それを教えるのが教育なのではないかと思っています。

 成功を目指すよりも、不幸の中で笑える強さを・・・

 大きな車道の横にあるホテルの一室で、雨の中、水を切りながら走り過ぎる車の音を聞きながら、誰もが、悲しみを抱えながらも、わずかな幸せを目指して一生懸命に走っているように思えた・・・・

 孤独なのは、おまえだけじゃない!







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