この航海は後悔しない | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■この航海は後悔しない
2007年10月10日





 秋、汗をかくにはピッタリの季節。身体を鍛えて、自分を追い込む。仕事をして、自分の限界の先を見る。どちらも、嫌いではない。年齢を重ねるほどにストイックになってゆく自分に気づく。心も身体も我武者羅に生きて、その先にあるものを見たいと思う・・・・・

 忙しいと書いて、心が亡びると言うが、僕は心も身体も使うほどに亡びないと思う。身体は使うほどに鋭敏になって、動きやすくなる。何よりたくさんの感覚が目覚めてゆく。心も動かさないと無感動になってゆく。

 メンタルの教室に通っている頃は心がワクワクしていたのに、今は心が乾いているから、再参加しましたという再受講生は多い。

 忙しくして、心が亡びるのは、望みもしない方向に心と身体を使うからです。だから、疲れないためには、楽しめることをどんどんやればいい。

 でも、そうは言っても、やりたい仕事ばかりではないし、運動だって決して楽ではない。誰もが好きなことばかりして生きていくことはむずかしい。

 でも、「出来事」は変えられませんが、出来事をみる「視点」は、ずらすことできます。視点をずらすとは、今までとは違う角度で世界を見ることです。苦しさを、快感に変えることも可能なのです。

 アスリートは、身体をいじめることで、強い肉体を作りあげます。たくましい筋肉は細かい筋肉を壊すことで、より強い筋肉が作られるのです。身体は刺激をあたえないと退化します。宇宙飛行士は数日間無重力状態で生活します。その後、地球に帰還した時には、立つことも歩くことも困難なくらい骨のカルシウムが失われ、筋肉も衰えてしまいます。

 人は刺激を与えないと、退化するという法則があります。頭も心も同じことが言えます。

 先日、失恋して悲しむ男性がいました。でも、苦しいほど好きになる人に出会えたことは、人生の中でとてもステキなことだとも受け取れます。退屈な日常に生きている人は「燃える恋がしたい〜」と叫んでいるのですから。

 また、「別れる恋ならイヤだ」という人もいるでしょう。でも、視点を変えると、別れは誰かとの新しい出会いの舞台準備かもしれません。別れた後に出会いはムダだと思った瞬間に、その人にとってムダに変わってしまうし、ステキだったと思えばステキな思い出に昇華される。楽しく生きるか、生きないかは、視点しだいです。

 遠距離恋愛で苦しむ人は、逢えた時の感動は計り知れないとも思えます。苦しみは、感動へのプロローグだから。

 仕事でも困難なプロジェクトが成功した時のほうが、充実感も達成感も大きいはずです。

 視点をずらすと、死は「さよなら」ではなく、また、どこかで出会うための演出かもしれません。インディアンは言います。「彼は死んで人生を失ったのではなく、せまい身体から開放されて、すべての出会いを得るステキな旅に出たのだ・・・」と。

 だから、どう視点を変えるかでこの世の中のあらゆることは、不幸にも幸福にも変わるのです。僕たちは何を見るかではなく、どのように見るかなのです。現代物理学でも、原子の渦巻く、虚空の中に、何を見るかで、世界は違って見えると言っています。見る人の思いが、見られるこの世界を決定するのです。

 身体を気遣いストレスなく永く生きることも人生ですが、刺激あふれる世界に身体を精一杯投げ出して、己の心と身体をフル活動させるのも人生の楽しみ方だと思う。僕は自分の「心」と「身体」がどこまで耐えうるのか見てみたい気がする。それのほうが自分の性分にあう。

 せっかく備わった身体機能はふんだんに使わないといけない。だから、身体も心も魂もふんだんに使う。使命とは、命を使うと書く。現代は、命を使わないで、大切に長生きしようと言うけれど、今から落ち着いて健康だけを考えるなんて僕の性には合わない。そして、使うなら嫌々ではなく、楽しく使う。

 今日、娘が休みなのに、午前中は塾。帰って来てからピアノ。それからクラッシックバレーのレッスンで夕方に帰ってきた。妻に生意気な態度を取る。我がままな娘の態度に、ストレスがたまっているなぁと感じた僕は、習い事をどれか減らせないかと娘に聞いてみた。ピアノもクラッシックバレーも好きだしやめたくない。「では、塾は?」と聞くと、行きたい私立の中学校があるから“やめられない”と言う。すべて娘が決め、やり始めたことなのにプンプンしている。これは楽しくない証拠・・・・・

 「ね、実夢(みむ:娘の名前)に聞くけど、どうして勉強するの?」娘「私立の中学に行くため。」「じゃ、落ちたら?勉強したことはムダなわけ?」娘は「沈黙。」「ミー(僕の娘の呼び方)を見ていると、『勉強してるのに』って感じ。別にパパもママも公立の中学校で十分だと言ってきたし今でも思うけど。イライラするのは“やらされている”と思うからだろ。イライラするのは楽しくないからだと思うけど。」

 「どうしても、どうしても、そこの学校に入りたいの?」と僕。「入りたい」とミー。
 「でも、落ちるかもしれないし、合格するかもしれない。イライラしながら苦しいと思って勉強すると、落ちた時にパパはミーの落ち込みが怖いなぁ。それなら遊んでたほうがいいと思うけど。なぜなら、好きでやったことは後悔しないから・・・・」

 「パパは勉強することは、私立の中学校に行くためではないと思う。受験のための勉強だと、試験に落ちた時、勉強した時間をうらめしく思うよ。勉強したことを損だと言いかねないから・・・・・。学ぶことは、自分を信頼するためだと思う。例えば、この間テレビ一緒に観てたやん。その時、知らないことを答えられる人を見て、皆がスゲーって言ってたのを憶えている。でも、答えられる人はそれだけ、みなとは違う何かに出会ってきたんだと思うよ。出会っていないと頭に残らないからね。ねえ、正しい勉強の仕方教えてあげようか」
 娘はコクリとうなずく。

 「教科書でも、人と出会う時でも、いやいやだと思っていると頭に残らない。それでは、ステキな本や人に本当に出会っていない。

 いやいや本を見てても字を追っかけてるだけだろ。でもね、パパは、イメージするようにしてる。この本に書いてあることは、誰かにいつか、尋ねられるかもしれないとか、これ、どこかで本に書けるかもしれないとか、これ、どこかで人に話せるかもって想像すると、頭に入りやすい。ミーがいつかアイドル(彼女は女優になると密かに思っているらしい)になってクイズ番組に出たときに、これが問題に出るかもよ。答えられなくてバカドル(バカなアイドル)になるか、知的なアイドルになるかの違いは大きいだろ。」(注:バカぽいアイドル御免なさい。実は知的な人より、バカなアイドルのほうが共感が持てて好きなんだけど・・・)

 「だから、そんなイメージをして本を読んだり、誰かの話を聞くことが一番頭に入る。それがスターになることの1歩やん。スタジオで自分の中に何もないことにおびえて本番を待つか、自分の頭の中身を信じてクイズのパネル席に着くかの差は大きいだろ。想像してごらんよ。それが自分を信頼すると言うことなんだ。

 パパが部屋でパソコン相手に何かを書くときに、今までに出会った人や本のこと、そこから感じたことを引っ張り出してきて本を書いたり、人前で話したりする。その時に自分が信じられなかったり、何も頭から飛び出してこないと嫌だからね。だから、たくさんの人に出会いたいし、本も読みたい。もっともっと自分を信じたいから・・・・」

 「そして記憶は、本読む時にイメージすること。頭に入るイメージをする。
 頭の中を一度も通過したことのないことは頭の中には残らない。いや、まったくない。だから、どこかで通過させないとアカン。それが今の勉強かな。今は憶えられなくても、一度通過させたら頭のどこかに何かが残るはず。そして、大人になる過程で、何度か同じことに出会う。そうしているうちに、しっかりとした記憶になる。だから、憶えてなくても目を通すことは大事なんだ。目を何度か通すと、思い出せなくても頭のどこかに残ってる。

 たとえば、雪は路に落ちるけど、すぐに消えるだろ。でも、消えても路面を冷やしてる。それが頭に積もる準備。路面が完全に冷えて、雪が積もる準備ができたら、目に見える形で雪は積もり始める。だから、忘れても、忘れても、何度か目を通す。それがいつか積もる時がくれば目に映る雪になる。それが憶えたってこと。

 だから、ある段階までは路面に落ちても雪は消えるだけ。だから、憶えていないように思っても、頭の中では憶える準備をしていると信じる。だから、ムダな勉強も、本読みもない。だから、楽しみながら忘れる勉強をする。忘れても記憶の準備だと思えばイライラしないですむから・・・・」

 たまたま隣で聞いていた長男もトバッチリ。

 「おまえも、今いちばん身体を鍛えておく時期だろ。今、身体を鍛錬しておくと、将来強いたくましい体になるのに、何も身体に刺激をあたえないで、ボーっと過ごしていると、ヒョロヒョロのモヤシみたいな背だけ高くて折れそうな大人になるぞ。だから、今日もパパの部屋で筋トレやな。それにさ、人のやっていることだけやっていると普通の奴になるぞ。人と違う本を読み、人と違うことを考えるから、空悟君(くうご:息子の名)スゴイ〜ってなるんだろ。みなが読みそうなマンガ本ばかり見ててどうなる。誰もが読んで知っていることを誰かに話しても、『そんなの皆が知っている〜』で終わるぞ・・・・・・」
と、ここまで言いながら、僕も手塚マンガがバイブルだったなぁと思い直し、「まぁ、何も読まないより、マンガでも読んだほうがましかなぁ」とフォローに入る。「ま、とりあえず筋トレだ」

 くり返される日常の中で、父親としての役割は、やはり子供たちにはストレッサーかなぁ。たまにしか過ごす時間がないからと遠慮して、子供に気を遣う親にはなりたくない。クドクドは良くないが、時には「しっかり、おまえ達を見てるぞ。」と親父風を吹かせるのは大事だと思っている。

 そして、自分もまた、ストレスと立ち向かう、男でありたい。楽に逃げたくはない。

 今、多くの人の置かれている人生の困難も、視点を変えると、波乗りのように自分を強くしてくれる出来事かもしれない。イヤな上司なら、将来、結婚した義父がこういうタイプかもしれないから、こういうイヤな上司と上手くつきあうことが、将来の予行演習と思うことで前向きにもなる。

 難しい仕事なら、自分のキャリアを鍛える鍛錬になるし、悲しい出来事は、いつかくる幸せな日々を味わうためのエッセンスにも思える。このように逃げないことが、自分の心を鍛えることにつながる。もちろん、逃げることも、時には大切ではあるけれど・・・・

 心は動かさないとさびてしまう。身体は使わないと衰える。だから、何もない平凡な日常より、つらくても、困難でも、生きて、あれこれ考える日常のほうが良いと思えるなら、その人は、心が強くなった証拠だ。

              だから、今日も荒波に漕ぎ出そう。

 穏やかなプールのような世界に浮いているより、いろいろある大海に漕ぎ出す冒険のほうが、「この航海は後悔しない。」これってやっぱりオヤジギャグですか?

 視点をズラすと、オヤジギャグも頭をサビさせないためのオヤジ達の言葉遊びなのかもしれない・・・ってか?!







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