バンザイ!多動児 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■バンザイ!多動児
2007年5月8日





 昔から心優しき人々から「先生は忙しすぎるねん。もっと、ゆっくりしたらエエのに」と言われ続けた。「先生はゆっくりするヒマとかあるの?」と温かい言葉をかけてもらうたびに、「今が忙しい時期だからね。今は走るしかないから・・・」と応じてきた。そう20代後半からズッーとだ。デジャブのように何度も同じようなシーンが重なる。そこで、いつの頃からか気づきはじめていた。僕には、ゆっくりする時期などは来ないし、好きではないのだと・・・・・

 そういえば学生時代から、興味のないものに強制的に意識を集中するのが大の苦手。授業中も静かに、先生の授業に耳を傾けられない。教室の中で、友達の動向や外の景色のほうに気持ちは旅立った。だから、他のクラスのグランドでのエピソードや、友達でもない仲間のキャラクターには、誰よりも詳しかったと思う。思い出せば、小学校の通知表は6年間判を押したように「落ち着きがない。でも、何か楽しそう」と書かれていた。

 だから、悲しい出来事も、それをズーッと考えるのが得意ではない。すぐに他のことに気がいく。ただし、この悲しみが持続しないのは、今までの人生の中で損をしていないように思う。

 年を重ねるごとに、よりその傾向が加速しているように感じる感がある。これが若年性健忘症と言われるものか?もちろん、ある時には、その不真面目な性格に真剣に悩んだりもした。そう、人間はもっと深刻に考えることが必要なのではないかと・・・・でも、この反省すらも長続きしない。次の瞬間には他のことに気がいくのだ。

 最近、「多動児」という言葉を、児童相談所でも、マスコミでも、よく耳にするが、たしか僕の子供時代にはなかった。児童心理学や精神病理学は、何に対しても病名をつけるのが好きだ。ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)これは注意欠陥多動性障害という。以前にアメリカ精神医学界の出した、ADHDの診断基準に照らして、子供時代の自分の性格でチェツクしてみたことがある。

 完全に8項目以上に該当!これは完璧な多動児だったということになる。

  じっと座っていることは難しい。
  何かをしていても意識が他に向かう。
  ひとつの作業から別の作業に興味が移り、最初の活動をやりかけにする。
  そわそわしたり、もぞもぞしたりする。
  質問される前に、質問者をさえぎって答えてしまう。
  鉛筆、道具、書類などをよく失くす。
  衝動的に行動することが多い。
  エトセトラ・・・・

 大人になる過程の中で、わかり切っている相手の話ですら、先回りして応えないで最後まで話を聴けるというマナーは身につけた。人一倍失くし物をする僕は、大切な物を失くさない技術も身につけた。でも、心の中には今でも、これから先の出会いが気になるし。未来がワクワク楽しみで落ちつかないのは、昔と何も変わっていない。

 もちろん、心の中で思ったり、感じたりしたことを、場や空気を読んで、すぐに外に出さない技術などは習得したものの、心の中の「ヤッター」「最悪!」「大好き」と言った感嘆詞の叫びや、楽しいとワクワク感が目の瞳孔や身体に表れる。それは、今も昔も変わりはしない。

 そんな感情を先延ばしにしたり、少し抑制することが、大人の役割なのだということも、すでに知っている。

 考えてみると、僕の好きな人は、誰しも心の中に子供の多動性を持っている。持っているから解かり合えるし、好きになる。時々、未熟だった頃の、自分を見るようで嫌気がさす時もあるが、これはマイナスの自分の投影だと思う。だから、心底から嫌いになどなれない。だから、多動性バンザイなのだ。大切なことはTPO(時間、場所、場合)を学べばすむことなのだから。

 カウンセリングに相談に来る人は、今ある苦しみや、狭い人間関係に釘付けになっている。もしくは過去であるにもかかわらず、親や周囲との関係を拡大レンズで、のぞき込むように意識を集中して見つめている。

 僕には、その集中力はないし、望んでもいない。そう、いい意味での多動性が働くのだ。今話題の渡辺淳一の「鈍感力」も、つきつめると同じ意味なのだと思う。そう、注意力散漫、ひとつに集中できない。多動とか、鈍感とは、そういう意味では神経は衰弱しない方法論でもある。

 悲しみに打ちひしがれている時に、楽しいことを思い出す。泣きたい時に、空の色がキレイだと思う。泣いている時に、今の泣き方は女優みたいと自己陶酔する。許さないと思っている時に、相手の慌てぶりに、可愛いやつとプーッと吹き出すのもいい。

 だから、時には集中力は散漫。ひとつの怒りに没頭しない。悲しみは途中で投げ出してあきてしまう。怒っていても、衝動的に相手の服のホコリが気になって取ってしまう。決まりきった感情のやり方が続かなくて、言い合いの最中に「遊びに行こう!」と場違いなことを口にしてしまう。

 悲しみに支配されるか、されないかは、自由なのだ!

 多動性 イズ フリーダム〜♪
多動性 イズ フリーダム〜♪ (犬井 ヒロシ風に)でも、「場違いなこと言わんといてって」言われることは覚悟やで。〜♪

 このように脱線するのが多動性なのです。だから、ライブ講座の評価は高いのだと思う。

 ゴールデン・ウィークはたくさんの人と、いつも話したい多動性の僕にとっては、何かが欠けていました。もちろん、家庭は何より大切です。でも、いいお父さん、いい夫も、三日もすればネタ切れです。不眠などにならない僕が、運動して、筋トレして、汗かいても肉体の疲労だけでは眠れません。人前で話をして、周囲に気を遣って、心と笑顔を、いっぱい使って。そして何より頭がクタクタに疲れないと、眠れない。

 だから、僕は一生涯、ADHD。多動性注意力散漫症ですね。

 自由な風のように生きたい。








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