S・フロイトは言いました。大切なことは「無意識の意識化」だと。仏さまの額(ひたい)の中央にあるチャクラは自分を見つめる第三の目といい、周囲の世界のことは二つの眼で見ますが、この額(ひたい)の目は、悟りをひらくために、自分を見つめる目だそうです。
現代は世界中の情報が、瞬時にリアルタイムで入ってきます。その中でも自分自身のことが一番わからない。だから、自分を知るために、占いや守護霊を知りたくなる。過去の歴史をひも解いてみても、不安な時代には、まじないや不可思議な世界に注目が集まるのが社会心理学の定説。それだけに今まで信じられた世界秩序や社会常識が崩壊している時代といえるのです。
自分を知ることが、今の時代ほど難しいことはない。第三の悟りの眼差しはどうすれば養われるのか。だからこそ、僕は今の時代は、心理学が重要な役割を果たすものだと思っています。
恋をすると人は、アバタもエクボに見え、恋は盲目になります。起業家を夢みる人は、どうすれば成功するか、いかに有名になるかが、人生の目的であるかのように錯覚してしまいます。子供が進学校へ入学できるかどうかで人生が決まると信じる親は、子供の成績にのみ“とらわれ”ます。他のことは考えられない状態です。そして、そのことに自分でも気づいていません。
心理学で大切なことは「無意識の意識化」です。自分を知ることです。恋は盲目といいますが、盲目である自分に気づけば、その瞬間から心は自由になります。なぜなら、人は自分からすすんで盲目の恋に入ってゆくことも自由に選ぶことができるし、逆に、冷静に相手との関係を見つめ直し、すぐにでも恋を終わらせることも選べます。どちらにしても、選択の自由はあるのです。
あなたにも選べる自由があるのです。それに気づいた時に、人の心は自由になります。なぜなら、恋でも人生でも、拳銃で脅かされ、強制的にやらされているのではないのですから・・・・・・
自由という字は、「自分」に「由る」と書きます。「他人」に「由る」と、失敗した時に恨み、後悔、怒りがわいてきます。他人の意見は参考になりますが、選択は自分でするのです。なぜなら、あなたの人生は、あなたしか生きられないし、誰も責任は取ってくれないのですから・・・・
他人の人生を生きない。自分の“オリジナル”な人生を生きる。そんな生き方のほうが、あなたが死ぬ時に後悔しないでしょう。では、どうすれば、オリジナルで、自己創造的な人生を生きられるのでしょう。
C・ユングは人には、アニマ(男性性)とアニムス(女性性)が、心の中に存在していると言いました。男性性とか女性性という概念は、一般の「性」を言っているのではありません。そのことで誤解が生じるなら、「陰」と「陽」でも、「能動的」と「受動的」でもかまわないのです。ユングは比喩として使っているだけですから。
ユングは、直観力や無意識の世界はアニムス側にあり、現実の世界の行動力や理性はアニマ側にあると言いました。この二つが協力すると、感じたことを実行でき、より自分を信頼(個性化)できるようになります。だから、行動だけに片寄ったり、想いだけにとらわれていては夢みる夢想家で終わります。
たとえば、僕が内部にある女性側の直観力で、相談者のことが“気になり”だし、男性側の行動力で“電話をしてみる”と相談者が死にたいと思いつめている真っ只中で、話しているうちに自殺を思いとどまったとか。
あるシンガーソングライターが女性側のひらめきで、世界中はこんな詩、こんな曲を求めているのかもしれないとインスピレーションを感じて、男性側の行動で、すぐにカバンからノートを取り出し、譜面を書いた曲が、大ヒットにつながったとか。
人生に挫折した時に、女性側の感覚で、ふと、何気なく本屋さんに目がとまる。男性側の行動で店に入って、手に取った本に救われたとか。
誰かに心理学の講座のことを聞く。何か気になりだし(アニムス=女性側)、講座に行ってみて、(アニマ=男性側)その結果、心が解放された。一生の友人が出来た。結婚相手にめぐり逢った・・・・メンタルの授業ではよくあることです。
僕のインディアンの友人は「必要なことは、必要な時に起こる」と言います。これをユングは「意味ある偶然」(共時性=シンクロニシティ)と名づけました。
たとえば、僕の女性側の導きで、今、こんな話を人は知りたがっているのではないかと、僕が「ひとりごと」の内容をふと思い、男性側の導きで、行動(パソコンに向かいキーを叩く)に移すと、アニマとアニムスの協力で「創造的」な“書く”という作業は進むのです。
そう、新しい発明から人を感動させる芸術まで、創作活動や創造作業の成功は、心の中に存在するアニマ(男性側)とアニムス(女性側)が結婚する。つまり「インナーマリッジ」が上手くいっている時に生まれるのです。
ただ、“思っただけで”“行動しなかった”というのは、アニムス(女性側)のカンを無視して、アニマ(男性側)の行動を面倒だから移さなかっただけなのです。これはアニムス(女性側)とアニマ(男性側)の「インナー離婚」になるのです。
誰かに誘われて出かけたくない時に、断り切れなくて付き合った後で、楽しくなくて自分が情けなくなります。それは、女性性(アニムス)の警告を無視して、付き合いだから、嫌われたくないからと、男性側(アニマ)が、現実的な行動である「今日はやめておきます」というアクションをとらないからです。当然、内部の女性側は、インナーの中で男性側に無視されて行動がとれません。
そして、現実の世界でも、本人は、自分をちっぽけな存在のように感じてしまうのです。大切なことは、自分で自分をサポートすることです。
インナー離婚をしている人は、インナーの足らなさを外の世界に求めます。自分で自分を守れない人は、その自信の無さを埋めるために、現実の恋愛でも、押しの強い男性性(アニマ)を具現化している人に魅了されます。経済的に強く、自分の意見を持っている人に恋をします。
また、直観力で察しの良い相手に惹かれるのは、自分の女性性(アニムス)をひどく抑圧しているので、カンで動く人や、不思議で現実感のない人に恋をします。
でも、それは、自分の中に抑圧していて、無いものに惹かれているだけですから、やがて時間の経過とともに、何か空虚な感情に支配され、別れる場合が多いようです。
ですから、自分を知らないと同じような別れを何度も経験します。これを交流分析では「人生脚本」と呼びます。無意識に同じような破局を演じてしまうのです。自分の無意識に気づかないかぎり、その脚本の悲劇は、何度もくり返すものなのです。
自分の中でインナー・パートナーが上手くいっていないと、自分に空虚感を感じ、現実の(外の)世界で異性と付き合うことで、自分が完成されると思うのです。だから、相手を失うことを常に恐れます。そうなると、相手にしがみつき、別れを不安がり、自分自身をより頼りなく感じるという悪循環におちいるのです。
ここで必要な気づきは、あなたが異性に惹かれるのは、自分に欠けているピース(片側)を相手が持っているからだ、ということです。でも、そのピースは自分の中にも、しっかり存在しているのです。ただ、今は、眠っているだけです。まったく存在しないわけではなく、あなたが置き去りにしているピースなのです。
自分で自分を守れる人は、他人に過度の期待をしません。なぜなら、自己充足しているから、一人も楽しめるし、仲間とも楽しめます。
しかし、誰かといつも一緒にいないと、いてもたってもいられない人は、自己欠乏感でいっぱいなのです。その不安を忘れるために、No!と言えず、人に迎合する。あるいは八方美人になる。そして、見捨てられることを恐れて不健康なふれあいを誰かに求めます。
仏陀は「己こそ己のよるべ。天上天下唯我独尊」と言いました。イエスも母マリアに「われ、汝と、なにかかわりあらんや」と言いました。自分で自分をサポートすることが大切なのです。
「君子の交わり淡きこと水の如し」で、自分を持ったパーソナリティの人は、人にしがみつかないし、ふれあいがあっさりしています。決して「一人が良いのだ」と言っているのではありません。自分で自分をサポートできないと、相手を失うのを怖れるあまり、相手を攻撃するか、相手を恐怖でしばりつけてしまうのです。
自分ひとりを楽しめる人が、他人の自由も喜べるのですよ。
自分の中に眠るピースを探すのが心理学の勉強なのです。自分の中にあって、忘れているもう一つのあなた。あなたの中に眠る恋人。それを完成させ、「インナー結婚」させるのが人生の課題なのかもしれませんね。あなたを取り巻く人々が、あなたの完璧なパートナーになるわけではないのです。
もし、現実の世界で自分が不安だと、誰かに感じたら(女性側)、少し勇気をふりしぼって、思ったこと、感じたことを「アイ・メッセージ」(男性側)で伝えてみましょう。「仲良くなりたい」と・・・
そうすれば、自分で自分を少しは、頼もしく思えるかもしれません。そして、憎い相手は敵ではなく、協力者かもしれません。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」です。
たとえ、嫌われても人生は、そこで終わりではないのです。
なぜなら、あなたには、最高の味方のあなた自身がついている。
アダムとイブは、もともとは、一つの身体を分け合い生まれました。僕達はそれが見えなくなったことで、この世界に罪が生まれたのですよね・・・・
今日も衛藤のインナーカップルは仲良く絶好調です。書こうと思う感情にしたがって、書いて良かった。二人のダンスは、僕に時間を感じさせず、すごい回転をともなって今日も「ひとりごと」が完成です。めでたし、めでたし。
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