失われた武士道を思って。 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


2003年12月2日

 イラクへイラクへと草木もなびく・・・・
 イラクへ自衛隊を派遣するか、否か。連日ニュースをにぎわしている。アメリカの正義で始まった戦い。そして、「国際貢献」と小泉首相は終始一貫それを盾にマスコミに語っているようだ。
 多くの大衆は、日本も国際貢献として派遣しなければ「国際的に笑われる」「腰抜けと言われる」と、国際的な周囲の目を気にしています。
 「赤信号みんなで渡れば恐くない」日本的な人さま恐怖です。

 武士道は「義を見てせざるは勇なきなり」と、孔子の『論語』を好みました。正しさを分かっていて、行動しなければ勇気がない証拠だというのです。
 では、「正義」とは何なのでしょうか?

 私はいつでも「正義」は立場を変えれば、どちらにも違った顔を見せる「厄介な存在」だと思っています。

 日本の歴史教科書問題にしても他のアジアからすれば侵略で、日本からすればアジアの秩序を守るための大東亜共栄圏の統一だったのかもしれません。
 そもそも歴史の授業の役割とは、それぞれの国から、見たり感じたりした認識の違いをしっかり教え、「人間は時おり、あやまちを犯しかねない存在だから、未来に向かって、我々は二度と間違わないで生きてゆきましょう」と教える大切な時間だと思うのです。ですから、何を載せて、何を載せないかというような論争というのは、僕は大人達が子供たちに固定観念を刷り込んでいるに過ぎないと思っています。あらゆる立場や角度から見た、見方や感じ方のズレを大いに議論し考えることこそ、歴史から学ぶ正しい姿勢だと思います。

 アメリカの「正しさ」で日本は動いています。そもそも、今回のこの戦争は、アメリカとイギリスは国連安保理を無視し、ドイツやフランスの同意を得られない状況でのスタートでした。もちろん、テロの時にアメリカにいた私としては、彼らの憤りは理解できますが・・・・・。

 インディアンの世界では七世代先の未来を意識して、今の結論を出せと言います。七世代先の子供達や孫達が、あの時代の大人たちの判断は正しかったと認めてくれるのか?否か?それを徹底的に話し合っての自衛隊の派遣ならば意味があるのでしょう。

 第二次世界大戦で200万人以上の人の命が犠牲になり、その陰でもっと多くの家族を失った人々の悲しみがありました。敵味方を含め多くの血が流れました。それもこれも互いの正義へのこだわりでした。そして終戦の時、世界の中で不幸にも核兵器を使用された日本は、焼き野原と涙の中で、未来への祈りとして生まれてきた『平和への祈り(平和憲法)』を受け入れ、共感したのです。
 武力による紛争解決はなんら幸せをもたらさない。われわれ日本は、これを永久に放棄すると・・・・・

 誰だって子供が泣いている顔は見たくないし、人が血を流すのは見たくない。
 ロバート・フルガムが書いた「すべての知恵は幼稚園の砂場で学んだ」という本が以前大ベストセラーになりました。
 ズルをしないこと。ウソはつかないこと。人を傷つけないこと。間違って人を困らせたら、素直にゴメンなさいと言うこと。友達は大事にしよう。外を歩く時は、危ないから手をつなごう。

 世界の人がみんなズルをしないで、仲間にウソをつかないで過ごせたら。そして、世界各国のみんなが手を結べたら・・・貧困で苦しむ子供たちや、争いで血を流すことは無くなるのです。きっと、もっと優しい時代になると思いませんか。

 禅の高僧に、ある人が言いました。
 禅の心得とはなんですか?そう尋ねられて高僧は「良いことをせよ。悪いことはするな」と言いました。尋ねた人は、「そんなことは幼い子供だって知っているじゃないですか」と笑いました。高僧はうれいを秘めた顔で「三歳の童子だってわかっていることを、八十の翁になって、やりぬくことは難しいことだよ」と諭したそうです。
 そう、誰だって知っている。子供たちに教えている。でも、大人はそれができない・・・・・

 ある人が言います。日本には武士道(サムライスピリット)があると・・・・戦わなくては、世界からバカにされると。野蛮と武士道は違います。

 日本の「刀」は、今思えば原始的な武器です。人を切るときの手ごたえも感じるし、相手の返り血を浴びれば、命を失う相手の温もりを知りもするでしょう。でも、最新の兵器はボタン一つで、何万の命を奪うことができます。それは現実感も無く、人の命を奪う恐怖もありません。遠隔操作は何も感じないですむのです。文明の進歩は大量に多くの人々を切り刻む「刀」を作ったのです。それが最新兵器です。

 「刃」の交わりの戦いでは人の命のはかなさを知らされるのです。倒れた相手の手足の痙攣や瞳孔から精気が失われてゆく死のプロセスを・・・・・・
 誰も、数万人の命を、みずからの手で絶って「正気」でいられる人はいないのです。

 ですから、武士が刀を持つことは、安易に「刃」をサヤから出さない「精神の修行」が必要でした。なぜなら、それを抜けば命のやりとりがおこります。その責任の自覚が必要です。そのため命の儚さを知った者でしか、刀は持たせてもらえません。武器を身体に身につけるとそれを使いたくなります。それをすぐに抜く愚か者は、精神的に脅えているからだと見られ、臆病者とか卑怯者と笑われたそうです。乱用の誘惑を静める。それが『道』なのです。

 みんなの(世界)手前、恥だからと武器を使いたがる日本人は本当に世界から尊敬されるのでしょうか・・・・また、新聞の報道では「自衛隊の安全はわれわれ米軍が保証する」と言われているようです。そのような自衛隊派遣を世界はどう見るのでしょう?

 また、どこが安全かと模索している政府ですが、戦場に軍を派遣する以上、安全な場所など、どこにもあるはずがないのだと世界の誰もが知っている。そして、ひとたび刀を抜くと日本にも安全な場所がなくなるのです。それを知って刀を抜く覚悟が必要です。それらを深く考えずに出た結論は、「道」をはずれた行為だと、私は思っています。

 戦わなくても世界にアピールする方法はあります。アメリカの属国として、アメリカの陰に隠れて、憲法まで歪めた形で戦わなくても、精神的なリーダーとしてアピールすることもできます。

 日本が世界に向けてアピールすべきことは、日本は核兵器による被害を体験した唯一の国であり、その悲惨な結末を唯一知っている国だということです。そして、その中でわれわれ国民が学んだこと、それは、戦いとは不毛だということです。

 新たな戦いは、新たな憎しみの種を宿し、永遠に終ることはできません。自分の家族の命を奪った憎き奴らと、自分の身内をすでに失った我々をつくります。それが、戦争の悪循環です。21世紀の日本は、憎むべき相手と、恨まれるべき我々を新たに生み出さない努力をはじめるべきだと思います。

 「そんなの全然現実的でない。アメリカから睨まれると、北朝鮮が攻めてきた時に、守ってもらえなくなるじゃないですか・・・・・」この問いに誰もが同じ不安を抱き、同じ意見を述べています。でも、自分を守りたいから、真実の戦いかどうかがわからないまま、知らない国に出向くのが勇気なのでしょうか。それこそが、弱腰の臆病者です。

 今の国際社会で、戦わないことを勇気をもって発言し、他国で戦わないと憲法で明記した理想の国を攻撃する国があれば、それこそが国際正義に反するのではないでしょうか。その時に、真のアメリカの正義は問われるのだし、その時にこそ日本の自衛隊というサヤに納めた「刀」が抑止力として光るのです。それが自衛隊の当初の存在意義だったのだと思います。

 どちらにしても、今のような信念というハンドルを失った車のように迷走し続ける日本の国際貢献は、世界から見れば弱腰にしか見えないし、若さから感情的に刃を抜いてかまえるのは、成熟した大人の世界ではぶざまだと思います。

 ”意味のない争いはしないし、義のために命を捧げる”と世界に知らしめた「武士道」は、この日本から失われてしまったように思えます。戦う恐怖を知っている人だから、いたずらには戦わない・・・・・その凛とした緊張感がサムライスピリットの美しさだと思います。

 ある人が私に言った。「衛藤先生は自分の子供が殺されても、戦わないで笑っていられますか」と。「笑えるわけがない」と私は思った。それが戦争の恐怖だ。
 そのような「〜したら〜されれば」の恐怖から始まった考えが、第二次世界大戦に日本人を引きずって行ったのだと心で叫びながら「過激なことを言いますね」と僕は笑ってうつむいた。
 ソ連を仮想敵国とした陸軍に対して「『たられば』で三国同盟を結んで戦争を始められるか!だから決して戦うべきでない」と叫んだ山本五十六が、皮肉にも戦争の前線で指揮を振らねばならなくなるのが、それが戦争の持つ悲劇の歴史です。

 私は自分の父の生き方に反発してきました。ただ、その父も戦争で自分の父の顔を見た事がありませんでした。私の父のように戦争で自分の父親の顔を見ることが出来なかった子供や、在イラク日本大使館員の方のように妊婦の奥さんを残し、旅立った父親が二度と出ないことを心から望みたい。

           子供の時に夢見た「世界に平和を!」と心から願う!





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