時間の香り | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと

■時間の香り
2003年9月4日




 今の時代はすべてが思いどおりになる。電車は時間通りに来て当然だし、お金を出しさえすれば、欲しいものは簡単に手に入ります。この文明世界の中では私たちはすべて目的に対して、どうすればそれに到達できるかはハッキリとしていて、明瞭です。

 そんな中で育ってくると、何でも思うようにコントロールできると思い込んでしまいます。
 でも、それはカン違いで自然は思うようにならないのです。また、自然の一部である人間の心の反応もまた、思うようにはならないものです。自分の愛している人の心ですら移ろいやすく、一つに縛りつけることはできません。

 連日ニュースで流される、子供が泣きやまないという理由で虐待したり、せっかん死させてしまう狂った親たちもまた、人間はコントロールできないのだということを学ばなかった人たちなのでしょう。

 僕がアメリカのリザベーションで出会ったインディアンの人たちは、自然はコントロールできないことを知っています。とくに長老の人々はそれを強調します。だから彼らは待つこと、願うことを知っています。人が思うようにならない事実に対面すると、あわてないで待つこと、願うことを学びます。

 子育てもそうです。今すぐに結果を求める教育は失敗します。部下指導も、学校や家庭教育も同じです。

 僕は子育ては、目に見えないタイマー付の時限爆弾だと思っています。今すぐに爆弾を仕掛けて、瞬時に爆発すれば反応も早く仕掛けがいがあるでしょう。でも、子育ては目に見えないタイマーです。いつ反応して結果がでるかわからないのです。「昔、親が言っていたことは、こういうことだったのか」「先輩が、くどいぐらい言っていたことの意味が、今にしてよくわかった」いう発見や気づきはよく耳にすることです。

 今は理解しているのか分らない相手に、それでも相手を信じて伝えていこうとする努力。待つこと、信じること、願うこと・・・・・
 それが自然というものに向きあう正しい姿なのだと思います。

 待つことをやめた時、希望はあきらめや、怒りに変ります。希望が我々を裏切りはしません。我々が希望を捨てない限り・・・・。

 インディアンは時に時間にルーズだと言われます。でも、時間は意味ある形で過ごさなければならないという価値観で固めてしまうと、ボーッと風の音を聞くこと、木々の葉たちのおしゃべりを聞くこと、川面のキラキラと流れてゆく水の行方に思いはせることも、すべて無駄だと思ってしまいます。

 首長ツイアビは語ります。「文明は時間を虐待している。時間を切り刻み、時間がない、暇がないと、時間からすべてをしぼり取り、時間に日なったぼっこもさせないでいる。時間はムシロの上でゆったりと背伸びするのが好きなのに、足に車輪をつけ、声に翼をつけ、時間から、どれだけ多くのものをしぼり取れるかをいつも考え、気が狂ったように走り回っている。あれは一種の伝染病だと思う・・・・・」

 僕達がボーっと過ごすことを生産的でないという気持ちで生きるなら、生産的でなかった子供の時間も、生産ができなくなったお年よりの時間も意味のないものになってしまいます。もしかしたら時間を切り刻んで意味をしぼり取ろうとする忙しいビジネスマンやビジネスウーマンより、時間をゆっくり過ごし自然とたわむれ、日向ぼっこしている老人や子供のほうが時間と仲良しなのかもしれない。

 人の心で思うようにならない時は、ゆっくり背伸びして、グレートスピリット(大いなる意思)にすべてをゆだねるインディアンを真似ればいい。子育てでイライラした時は、子供と自然の中に入って背伸びをしながら時を過ごせばいい。なぜならドングリに怒ってみたところで、すぐには巨木にはならないのだし、川の流れは遅くても、しかし確実に大海にそそぎだす。
 
 いつか彼らの目覚ましの音が優しく鳴って、彼らへの沈黙の意味、待ってくれたことへの優しさに気づく時まで・・・・・
 
 時間と仲良くしてますか? 知っていますか時間の香りを。



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