火をジーッと見ながら、インディアンの長老は語る。「火はぬくもりを我々に与えてくれるが、突然に森を燃やすこともある。すべてのことがらは、良いものも悪いものも同時に含んでいる。だから、一部を信じてはダメだ」と。僕らが火を思う時は「タバコの火がありますか?」と聞く時、あるいは「煮えないのは鍋の火力がないからだわ・・・」くらい。あ、あ、そうそう、これからの季節は「花火の火持ってきた?」かな・・・・
でも彼らは火をじっと見つめる。風をじっと感じる。コヨーテをじっと見つめる。
そこからいろいろな知恵を引き出そうとするのだ。彼らの先生は、自分のまわりにあるすべての現象だ。
時間をじっくり過ごす。よくものを観察する。ストーリーを大切にする。
たとえば、何かをなくした時、自分の前からなくなっているが、それは、決して消えたわけじゃない。
知り合いの女性が「ブレスレットをどこかでなくしたみたい」と残念そうにみんなに告げた。誰かが「高かったの?」とたずねた。彼女は舌を出して恥ずかしそうに「安いんだけどね。残念、好きだったから」みんなが、同情のため息。「あ〜ぁ。」キャンプ場じゃなぁ。
誰かが拾って大切にしてくれれば良いのにと僕は思った。
インディアンの人々ならば、誰かがそれを身に付けて自慢しているかもしれない。そう“ギフト”だと。目を輝かせながら自慢しているかもしれない。
彼らはとても貧しいから、そういう事が想像できる。日本では安物のブレスレットなら拾われても捨てられてしまうかもしれないし、落ちていても見向きもされないこともある。
貧しい国の夢ある人は、拾ってそれを語る。どこから来たのか、誰がこれを身につけていたのか・・・・でも、「泥棒!」と決して怒ってはいけない。それがドラマだからだ。彼らインディアンは、それを楽しむのだ。何かをなくした時、失われたもののストーリーが、彼らには何よりも大切なのだ。
何かをなくした時、その後のドラマを楽しもう。失われたブレスレットの、それからの数々の旅、そう物語を楽しむのだ。高級ショップの高価な宝石箱にしまわれるジュエリーよりも安物のブレスレットのほうがドラマは生まれることもある。
自分のもとにあるモノがすべてではない。見えないものを楽しむ、それが人間に与えられた想像力という贈り物なのだ。
自分の可愛がっていた猫がいなくなった。保健所か?どこかで死んでるわね。という想像は、現代ニッポンのイマジネーションの貧困さだと思う。
ウチからいなくなった猫は、きっと長靴をはいたネコになって、どこかの国で活躍しているに違いない。そんな想像を僕らはいつからしなくなったのだろう。
僕が昔、川に逃がしたカメは大怪獣ガメラになったと信じていた幼い頃・・・・
何でも見える時代はおもしろくない。教育はすべてを知れと言う。知ることは大切だが、知らないことも大切だ・・・・そこに夢が生まれるから。
「海の向こうには何があるのか」と思っていた頃、若者は元気だった。
地球儀なんかくそ食らえだ。知らないほうが夢はある。そこには、一つ目の巨人だって、大蛇だって出てくるし、人魚だって歌っている。
そして宇宙はすごく広くて未知の世界だ。カーク船長は今でもスポックと旅をしているし、銀河鉄道だって走っているのだ。
大人の世界も見えないほうが夢がある。
「自分はこの学校を卒業して働いて、一生懸命に頑張っても課長職どまりかなぁ。年収がこうだから、小さな家を建てて終わりってとこかな。」小さくまとまったエリート達よ。・・・・・大人の世界をあまり見せないでおくれ。マスコミ諸君。世界は夢で作られるから。世界が狭いと思えば狭くなる。無限と信じるから世界はドラマを持ちはじめる。
この僕も夢に生かされている。だから理想の人間関係を語りたいと思っている。講演や人前で熱く語っているのは、僕ではなく、もう一人の僕だと思う。スーパーETOだと感じる。自分自身はそんなに強くもないし、冷ややかなニヒリズムに圧倒されることもある。
でも、「そんなに世の中、簡単にいくのー。」「それは理想主義ってものでしょ。」というニヒルな人々が多いから、そんな時代だからこそ、スーパーETOはそんなニヒルな世間の壁など笑いながら破っていく存在でありたい。・・・・・スーパーETOはそんなカウンセラーのイメージでなければと思っている。
手塚治虫がブラックジャックに自分の理想を重ねたように、僕も自分の理想をスーパーETOに重ねる。
僕がいつも笑いとともに話すのは、世の中が最悪な状態になり、生きていてもしょうがないと窮地におちいった時に、誰かの心の中に、「アイツは今も笑いながら、ひょうひょうと生きる楽しさを誰かに語っている。」と誰かを信じさせたいから。それができるなら僕はいつでもみんなの前で笑っていよう。
「先生はいつも元気よね。」と言われると、「はい、おかげさまで。スーパーETOはね」と心の中でスーパーETOに感謝する。だから、日々の仕事で、完全にKOされそうになる時も、「もう、限界だ」と思った時も、あのみんなの前で笑っているスーパーETOは、ここで逃げないのだろうなぁとイメージするから、戦える。彼ならここで不敵に笑うのだろうかと・・・・・
自分を作り上げてゆく作業。これは誰もが大切だと思う。人はイメージで生かされる。英雄や聖母伝説の人々はどんな人?真実はどんな人?宮本武蔵はタイムマシーンで会いにゆけば、普通の人かもしれない。でも、多くの人に語りつがれる中で、剣豪の宮本武蔵は生まれたのかもしれない。こんな人であってほしいと思う多くの人の願いがそこにある。大切なのは夢を持ち続けること・・・人は夢やあこがれを持つから生きてゆける。
「歴史の真実、実像にせまる。」テレビの娯楽ならそれも良い。マスコミや社会が真実、真実と叫びすぎるとロマンは消失する。それはオタッキーな学者がある視点から見た真実を知らべればよい。なぜなら歴史は立場が違えば、まったく違って見えるのも真実。
僕は必要がなければ、誰かの偏った真実などは知りたくもない。どちらが真実なのだと大騒ぎしている大人たちは哀れだと思う。またそれを教えられる子供達もいい迷惑だ。大切なのは、歴史は立場で違って見えるってこと。話はそれたが、多くの理想は現実をのり越えてゆく・・・
あなたにもスーパー“あなた”が作れるはず。部下の話をシッカリ聞こうとする上司像。いつも家庭の中で太陽のように輝いているお母さん像。疲れていても子供と遊ぶお父さん像。やさしい顔のOLさん像。未来のことを考え自分の利益に逆行しても、みんなのことを考える政治家像。
あなたが何者でもいい。でも、誰かの中の「スーパー○○」になれたら。そこにあなたが生きていたというドラマが生まれる。ニヒリズムなんてぶっ潰せ。世界はとてつもなく広いのだから。そして、あなたに出会った人が、あなたの育てた人が、その後どんな出会いとドラマを作るのか・・・・それをイメージするから、今の苦しさを乗り越えてゆかれる。それが、ステキな年のとり方だと思う。今日もガンバレ、スーパー“あなた”
それでは今日のシーンNO.22!ヨーイ。スタート!!
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