いつかの平和な空 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと

■いつかの平和な空
2003年4月15日






 最近ボチボチ生きています。光の中で。風に吹かれて。地面に靴があたる心地よさを確かに感じながら・・・・・アリゾナの空ほどではないけど、日本の空も捨てたものじゃない日もある。

 でも、ほんの少し空がくすんでいる気がしているのは、僕の心が曇っているから・・・・・とてつもない強い力で、人が逃げまどっていることを知っているから?
 でも、僕は、この国でご飯を食べ、仕事をして、友と笑うこともある。そんな日常が少し後ろめたくて、平和の空を見つめてしまう。

 幼いころ、あの原っぱでの草野球の時も、はじめての好きな子とのデートの時も、僕の上には平和な空が広がっていた。

 でもいつか、この空が戦火で赤く燃える時があるのだろうか?

 日本はそんなことはないと、誰もが信じて生きている。でも、誰も止められなかった戦争の後・・・・。

 もし、アメリカとイラクが同等レベルの軍事力なら、アメリカはあれほど武力攻撃の選択を急いだのだろうか? 平和的な努力をあれほど早く捨て去ってまで・・・・

 今回の戦争で世界の指導者が学んだこと。すべては“巨大な力”が勝つ。軍事力へのあこがれ。強さがすべてを制す。民主的な解決などは国連分裂劇でフィクションのおとぎ話になってしまいました。時代はゆるやかに戦乱の時代に落ちてゆく気配さえ感じ取れる・・・・
 民主的でないやり方でスタートを切った戦争で、平和や自由、正義や民主が叶うのか・・・・正義の名のもとにインディアンを大量虐殺した人々は、今もなお自国の論理で世界をコントロールできると信じている。
 より世界は権力と金、自国の利益へとかたよってゆく。

 勝てば正義。
 第二次大戦の後、開かれた極東裁判で、「被告人は何か言うことがあるか」と聞かれた東条英機は「この市ヶ谷法廷の屋上へ上がって下町のほうを見れば、焼け野原であり、非戦闘員(一般人が四万七千人が死んでいる)が殺された。これを見れば、何が戦犯なのか決められるものではない」と言った。
 
 民家の密集した場所に爆弾を落としておいて、勝てば官軍のように正義面する。それが戦争なのでしょう。

 茨木のり子さんが、ミンダナオ島に行った時。コケによって色がついた頭蓋骨を、木の実だと錯覚して手にしたそうだ。
 彼女は、この頭蓋骨をかけがえなく、愛しいと思い、抱きしめた女性がいたはずだと思いにかられた・・・・小さな幼子のひたいを見つめながら、愛情深く見つめ、なでた母親がいたのだと・・・・彼女は詩集の中で、この髪に指をからませて やさしく引き寄せたのは どんなひと もし それが わたしだったら・・・・・
 その、もし それが私だったらの次の最後の一行、そう終行を見いだせないままに、終わったと詩集で彼女は語った・・・・それを、ふと思い出した。

 戦うのは国家ではない。戦っているのは母に抱かれていたであろう幼いひたいの集団だ。
 戦っている人々も、過ぎた日の平和な青空の下、母親の胸で笑っていた幼いひたいなのだと・・・・そんなことを考えながら、平和な空の下、子供達の笑顔をわびながらながめている。何も出来ないでいる自分に苛立ちを感じながら・・・・生きる今日この頃。







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