アメリカとイラクはいよいよ戦争か?連日新聞はゴジラとモスラが戦うかのように一見深刻そうに報道し、そして軽いニュースを読むかのように、平和なお茶の間に流がれていく。僕の嫌いな軍事アナリストのヤカラが「3月にはアメリカのイラクへの配備は完了するでしょう」としたり顔で語る。
フランス、ドイツ、ソ連、中国が、国としてそれぞれの意見を表明しているさなか「日本はアメリカに無条件に従い、戦争を応援する」と、議論も起きぬまま放送はつづく・・・日本はいつからアメリカ合衆国の一州になったのだろう。
世界からは小泉首相は合衆国の州知事くらいにしか映らない。平和憲法を持つ唯一の国である日本は、いつから言うべきことも言えないほど、日々の安定した生活だけが心配ごとになったのか?
子供のような質問をして良いですか?人を殺してはいけないことでは・・・・一人を殺すと殺人者だが、国のために、たくさんの人を殺すと英雄になる。と、ニヒリストが微笑む。
テロ撲滅と国家の利権。では、彼らは身体に爆弾をつけてまで、なぜテロ活動するに至ったか、重なり合うドラマ・・・・・・平和な人々だったネイティブ・アメリカを狂暴なインディアンに追い込んだストーリー・・・・・ループのように尻尾を追いかけるドッグファイトは、過去から未来へスパイラルに続く・・・・・21世紀も夢ある未来ではなかったのか・・・・・・
「マッカーサーによって作らされた、平和憲法なんて」と人々は笑う。しかし、日本は愚かな戦争をしてしまったことは事実。日本人も何百万人と死に、対戦国も何百万人と死んだ戦争のあと、この悲しい戦争の教訓として生まれたものが平和への祈り、日本国憲法第九条。それが時代に合わないと言ってしまったり、理想主義だと言ってしまっては、たくさんの死者を出したことから得た教訓は失せてしまう。未来に夢をもつ日本の憲法は理想主義で良いと思う。
でなければ日本はあの戦争で何も学ばなかったことになる・・・・死んでいった魂は、何も生み出さなかったことになる・・・・・
僕が愛する平和憲法は、世界で唯一の未来へ、また夢の世界に向かう憲法であってほしい。初めて憲法を聞いた時の、あの感動を僕は忘れない。日本人を誇りに思えたし、未来に通じていた。
世界から戦いを無くし、武力の行使なき社会を目指す。理想論と笑われてもいい。理想を失ったら、この世界は破滅へと転落する。
それを議論もなく「戦争を応援する」という無自覚すぎる発言を、人々の耳はなぜ聞き流してゆくのか・・・・・僕達は、たくさんの死んでいった魂が、血しぶきの中で、導き出した答えを無かったことにしようとしている。
戦争を容認するのは、死んでいった人々から何も学び取らなかったことであり、戦後この半世紀を、僕達は時代を逆行することになる。悲しみの先に得た財産を、僕達は世界に訴えられないくらい自信を喪失しているというのか・・・・・
日本は、今こそ国連に「戦争は時代の逆行であり、やはり戦争なき社会への根強い説得を求める」とする必要があるのだと僕は思う。
アメリカの友人の話だと、パウエル国務長官が発言するたびに、先行き不安からガソリンの値段は跳ね上がり、政府はテロの危険に備えて3日間の食料の備蓄と毒ガス用の防御マスクを配ることもあるそうだ。
このようなアメリカでの連日の報道は何のため?
こうすることで政府や国防省は国民の不安を高めているのか・・・・車社会アメリカでは、ガソリンの高騰は苛立ちに変わる。
また、テロへの警告は、アメリカ大衆を集団ヒステリーぎみに導くことでしょう。それは戦争肯定派が50%から60%、さらに70%へと確実にうなぎ上りに跳ね上がっている事実からも成功済みです。こうして巨大な何かがアメリカを好戦国家に変えてゆく・・・・・不安は不信を生み、不信は恐怖に変貌する。恐怖は人間から愛を奪い、戦いへと駆り立てる。
僕は時代に流されない風になりたい。
過去ドイツ捕虜収容所ではユダヤ人であるにもかかわらず、カポーという立場側につき、同じユダヤ人の仲間に対して傲慢にふるまい、見下して暴力をふるう人々がいた。
一方ではナチスの親衛隊でありながら、命令違反を覚悟で、死んでいったユダヤ人を墓に埋葬し、名前を奪われ、番号化されモノになった人間に、ふたたび名前を確認し、墓穴のそばにあるモミの木に、死者の名前を小さく、えんぴつで刻んでいった人もいた。
大切なことは、集団という中にいて、いかに個人として目ざめているか、ということなのだろうと思う。
人間の価値は、民族や人種、またはイデオロギーでもなく、その人が何をしたかで決まるのです。「人生とは何か?」人生に対して、人が問いかけてはならないのです。人生が我々に刻々と問いかけている・・・そう、あなたに問いかけている。
あなたは何をするのか? 何ができるのかを?
この地上には二つの人種しかいない。品位ある人種と、そうでない人種である。 =V・フランクル=
≪もう一つのイマジン≫ 詩/衛藤 信之
やさしい風が吹いてきた場所を、誰でもみんな知っている。 みんなの心に確かにある。
誰もが間違いなく望んでいるところが。 みんなが笑っている風景を、恐れも、不安もなく。
安心できる友がいて 少しの陽だまりがあり、 心も身体も飢えていない世界。
みんなが、みんな安心して笑って眠れる夜があって。
暗闇も、恐怖も、安心した眠り顔には勝つことはできなくて
星さえも笑ってくれる。 みんなの寝顔には、今日も確実に朝陽が昇り、
一日のすべてが、ゆっくりと時を刻む。 思い出がキラキラキラキラ光りながら
全ての人の心に貯えられてゆく。 消え去るものなど何もない。
すべては失われず、 そこなわれず、永遠という中に飾られ、輝き続けることを。
子供からも老人からも、 すべてのものから涙がぬぐい去られる場所がある。
心地よい風が吹いてきた場所には、 きっとそのような優しい世界がある。
だから、僕らは心地よい風が吹くと、誰もが優しい顔になるのさ。
だから、さびしい時には風にきき、優しい陽の中にたずねるがいい。 僕たちがどこから来て
どこに行き着くのかを・・・・・
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