退屈と感動のきょり | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと

■退屈と感動のきょり
2003年1月7日





 新しい年になりました。今年は個人的には自宅の引越しと二冊の本の出版があります。一冊はゴマブックスから、もう一冊はアイボの開発者の天外先生との共著(飛鳥新社)です。楽しみであり不安でもありと複雑な年明けです。
 我が日本メンタルヘルス協会のホープ林先生の初出版(総合法令出版)も含め、さらに大忙しになりそうです。
 
 さて今年も不景気という三文字に踊らされて、多くの人の心から笑顔と余裕が失われてゆくのでしょうか?若者たちはこぞって毎日が退屈だと言う。そして大人たちは感動のない時代だと言う。でも本当にそうなのだろうか?感動のできない人たちはいつの時代に生まれても感動はできないものだと思う。そのように嘆く人たちは、常に受け身なのだと思う。退屈だと言う人たちは、晴れの天気を心待ちにする子供のように空ばかり見つめている。自分から感動を探す旅には出ない。
 
 退屈だと愚痴ってばかりいる人々の前には感動は現われない。
 
 我々の日本メンタルヘルス協会は「心のディズニーランド」を目指して旗揚げした。今から15年前のことである。我々が目指した本家の東京ディズニーランドは開園20周年を目前にし、今日のリゾート氷河期の中にあってダントツに、そして確実に高成長を続けています。
 それは入場者数の97.5%をリピーターが占めているという、高いリピート率を見ても明らかです。リピーターとは東京ディズニーランドに繰り返し訪れる人のことです。

 つまり、東京ディズニーランドは「初めて来ました」という人が3%もいないのです。そして、なんと10回を超えるリピーターが59.4%もいるのです。他のテーマパークではありえない数字です。これは一昨年の秋に開業したディズニー・シーを除いてのデーターですから、その底力は計り知れないものがあります。
 
 宮崎のシーガイアや長崎のハウステンボスは赤字を続けて代表が変わり再建の努力を続けています。香川のレオマワールドは休園し、関西では歴史ある宝塚ファミリーランドが閉園決定。また、阪神パークや神戸ポートピアランドも閉園の状況にあって東京ディズニーランドだけが一人勝ちなのです。

 さらに東京ディズニーランドは入園料を除く、お土産の売上だけでも銀座のデパートの年間売り上げに匹敵する675億円もあります。もちろん年末商戦も新年早々のバーゲンもないにもかかわらずこの数字です。
 これには本場アメリカのディズニーランド本部も経営権を直営にしなかったことを口惜しがったほどです。
 なぜ、いま東京ディズニーランドだけが成功しているのでしょう?
 
 そこにはビジネスの基本があります。
 
 それは商売というのは笑売というように、感動を売るところには、人が集まり、当然お金をたくさん落すということです。
 東京ディズニーランドを運営している(株)オリエンタルランド顧問の堀貞一郎氏は胸をはって語っています。私たちは「ハピネスを提供する企業だ」と。
 
 ミッキーマウスの産みの親ウォルト・ディズニーがディズニーランドに求めたもの、それはお客さまが映画の世界に入り、一緒に感動を作り上げていくことでした。だからディズニーランドでは来園者をゲストと呼び、従業員をキャスト(共演者)と呼びます。
 その夢の完成のために東京ディズニーランドでは外の景色が見えません。それはゲストを夢の世界に入り込ませるという目的があるからです。

 東京のディズニーに対抗して2001年春に開園したUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)は残念ながら、外の町並みが見えてしまいます。夢の世界の周りに日常の運搬船が海上を走り、阪神高速の高架がシッカリ見えてしまう。夕方になり高速が混み始めると、夢の世界よりも帰りの心配が頭によぎります。これには興ざめです。
 ターミネーターより帰りの渋滞のほうが脅威になるのです。

 東京ディズニーランドはもちろん、アトラクションを含めた環境面、すなわちハードウェアの心配りも数え上げれば枚挙いとまもないほど数多くあります。
 でも、これらの多くはお金をかければ他のテーマパークも真似が出来たはず。他がマネ出来ないのは人間が作り出すソフトウェアにあります。

 ディズニーランドの従業員であるキャストは、いつもゲストの喜びを求め探しています。立ち止まって地図を見ていると、キャストは笑顔で寄ってきて「何かお探しですか?」と声をかけてくれる。写真でも撮ろうものなら掃除担当のカストーディアルでさえ寄ってきてシャッターを押してくれる。

 今の時代、誰かが気にかけてくれる、いつも関心を向けてくれる態度は、殺伐とした社会の中で人が一番求めているものなのです。自分を気にかけてくれる所に人は何度でも出かけたくなります。それがビジネスの原点なのです。

 このような他人の幸せを求める態度はマニュアルで教えられるのでしょうか?答えはノーです。
 「マニュアルで成功したと言われるディズニーランドは、マニュアルを越えたところに感動がある」と顧問の堀氏はさらに続ける・・・・
 
 ある夫婦が、ディズニーランドに来ました。ディズニーランド内のレストランで、お子様ランチを夫婦で注文したのです。もちろん、お子様ランチは9歳以下とメニューにも書いてある。もちろんこれはマニュアルでは当然お断りする類のものです。しかし、キャストのアルバイトは、マニュアルから一歩踏み出して尋ねました。お子様ランチは誰が食べるのかを・・・・
 「死んだ子供の思い出に食べたくて」奥さんが答える。
 「亡くなられた子供さんに・・・・」とキャストは絶句した。
 「私たち夫婦は子供がなかなか産まれなかったのです。求め続けて求め続けてやっと待望の娘が生まれました。でも、体が弱く一歳の誕生日を待たずに亡くなってしまいました。私たち夫婦は泣いてこの一年を過ごしました。でも、いつまでも泣いて暮らしてはいけないと話し合って、娘の一周忌の記念に、娘と来たかったディズニーランドに来たのです。そしたらゲートのところで渡されたマップに、ここにお子様ランチがあると書いてあったので、娘との思い出に、お子様ランチを食べようと思いました」そう言って夫婦は目をふせた。

 キャストのアルバイトは「そうだったのですか。では、どうぞ召し上がってください」と自己責任で即座に応えたのです。そして「ご家族の皆さまどうぞこちらのほうに」と二人席のテーブルから四人席のテーブルに夫婦を移し、それから「お子様はこちらに」と大人のイスを一つ外し、子供用のイスを用意した。しばらくして運ばれてきたのは三人分のお子様ランチ。そしてこのキャストは「ご家族で、ごゆっくりお楽しみください」と笑顔で立ち去りました。

 これは完全にマニュアル破りの規則違反です。しかし、誰もそのキャストを責めるものはスタッフにはいません。むしろそのキャストは賞賛されるのです。東京ディズニーランドではあくまでもマニュアルは指針であり、すべてはお客様のハッピーが優先されるのです。
 
 このような出来事に感動して、ご夫婦は帰宅後に手紙を書きました。「私達は、お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように家族の団らんを味わいました。また、娘を連れてディズニーランドに必ず行きます。」そしてその手紙はディズニーランドに届けられ、それはすぐに張り出され、コピーもされ、舞台裏で出演の準備をするキャストに配られます。舞台裏では多くのキャストが感動で涙する・・・・でもすぐに先輩から号令がかかる「涙はここ(舞台裏)まで、パーク内では涙は禁物。今日は誰がどんなドラマを創るの?それじゃみんな笑顔で出番の準備を!」

 そんな光景が毎日舞台裏では繰り広げられるのです。彼らの作り出す笑顔は上司からの命令ではありません。それは自分達が感動したいからなのです。
 自分自身が今日という日を感動したいからなのです。阪神大震災で日頃は非行少年とレッテルをはられていた若者が一番活動したのも同じことだと思います。彼らは自分達が必要とされることで、皮肉にも死の世界の中で、生の充実を感じていたのだと思います。
 
 「感動」は、自分から「感じ」て「動いた」人に訪れるのです。理屈や経営理念からは生まれません。その証拠に「理動」なんて言葉は存在しないのです。待っていても感動は訪れません。笑顔でお客様に接客する。そして親切にされると、お客さまは自動的に「ありがとう」と笑顔になる。そこで従業員のほうも自分は必要とされた、喜んでもらえたと感動をいただく。
 
 感動にはその「一歩」踏み出す、ほんの少しの勇気が必要なのです。
 お年寄りに席をゆずる事も、困っている人にこちらから声をかけるのも、「情けは人のためならず」自分が感動したいから、人は人に優しくなれるのです。そう私たちは今日からでも感動ドラマを作ることができるのです。
 
 それは誰もが本当は心の中で知っているはずのこと。

 渋滞の時にウインカーを出している車に、前の場所をゆずってあげた時、ハザードで「ありがとう」のサインを見た瞬間のほんの少しの清涼感に似た感動を・・・・。退屈と感動との距離はその一歩だと思う。それは自分が先に動いて、次に感動が生まれるのが「心の方程式」でしょう。

 たくさんの悩める人に会うにつけ、「誰も私を愛してくれない」「私なんて生きていても意味がない」と笑顔も見せないで嘆いている・・・・“それこそ”受け身だと思う。必要とされる人間になるための努力を出し惜しみする。それらの人々を見て僕はズルイと思うことがある。僕は夜の講座の後に食事会に行くことも、メンタルのアイランドツアーの準備をすることも、年末のカウントダウンパーティをすることも、それもこれも誰かの笑顔が見たいから。

 僕は今年も「この一歩」を大切にしよう。そして一歩を出し惜しまないように生きよう。誰かの笑顔が見たいから・・・・「退屈」から「感動」の距離は、ただ「この一歩」なのだから。





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