一月に日本に帰国して、早や二ヶ月が経ちました。少しづつ元の生活に慣れるとともに自分の中から自然の香りが少なくなってゆくようです。
昇る朝日が瞬間、瞬間に微妙に色を変え、この世界に彩りを鮮やかに与えてゆくことも、灼熱の太陽が今日の終わりを慈しむように深紅に世界を染めてゆくことも、星降る夜に月光が十字のベールをまとうことも・・・・・・今は胸の底に優しく沈殿してゆきます。
だから電車に乗っても、街を歩いていても、切り取られた空を眺めています。かぐや姫が月の世界を懐かしむように・・・・・
ネィティブ・アメリカの人々から学んだこと、単純なことに興味を持つこと、歩くこと、笑うこと、生きていることに感謝すること。幸せは発見されることを待っていること、取り立てて出来事がなくても人の隣に幸いはあること。
たとえば食べる時、食べ物にはストーリーがある。
例をあげれば、マクドナルドのハンバーガー。そのビーフはオーストラリアの草原でゆっくりと流れる雲を見ながら育った牛であったのかもしれないし、そのレタスは大地の香りや虫達のささやきを聞いていたのであろうし、そのトマトは朝露に輝きながらその色を鮮やかに付けていったはずだ、それらをはさんでいるパンはアメリカの大地の中で風にゆれていた小麦であったのかもしれない。それらの自然の“つながり”を僕たちは口に運び、自然や宇宙を身体に取り込んでゆく。
そのストーリーをどれほど僕たち日本の民は感じながら食べること、生きることを楽しんでいるのであろうか?モノとして食べることと、ストーリーを感じて食べることでは同じ食べ物、時間であっても厚みと奥行きが存在する。
彼らは言う、ストーリーや人生は味わうものだと。
僕が子供だった時に、父母の田舎であり、僕が青春を過ごした九州は大分の山寺に禅坊主がいた。そこの禅寺の娘さんは僕が夏休に大阪から来るたびに遊び相手になってくれた。たしか僕が小学校4年の時、彼女は高校3年生だったから、僕にはとても大人の女性に思えた。とても笑顔が優しくて、綺麗で気さくな典子さんが僕は好きだった。もちろん「あこがれ」という言葉も理解できなかった頃の話だけれど・・・・その時、僕はそこの住職の和尚さんがどんなに偉い人かも知らなかった。
そんな子供の頃のある日、僕が水道からコップに水を入れて土間で飲んでいると、和尚さんが外から帰って来て僕の背後から「信君が飲んでいるのはなんだね?」と声をかける。僕は「水だよ」と答えると、「そうかなぁ。それはただの水じゃない」という。
僕は自分で蛇口からコップに水を入れたのだからとイブかって「水だよ」と自信を持って応えた。「いや、それはただの水じゃない。良く飲んでごらんよ」と和尚はニヤリと笑った。僕はもう一度口にコップの水を含んだが、やっぱり水なのだ。「これ水だよ。僕自分で入れたんだもん」と言うと、「いや、そうじゃない。それは普通の水ではないのだよ。信くん」と和尚。でも、何度飲んでも水に違いはない。子供でも、さすがに訳の分らないことを言って、からんでくる大人には閉口するもので、僕は「何度飲んでも、水は水だよ。じゃぁ。和尚さん。これは水でなければなんなの?」と声をあらげた。
和尚はまたもや笑って「信くん。それはただの水じゃない・・・・今日の水じゃ」僕は?????・・・・
和尚は続けて、窓の外にある山を指して「信くん。見てごらん。この水はあの山のほうから長い旅路をしてここまで運ばれたのじゃ。そう、信くんに出会うためにな。 そしてやっとたどりついたここにな。水道の蛇口では大騒ぎであったであろうなぁ。我先に信君のコップに入りたくてな。でも、最初の水たちは流しに流れてしもうた。悔しかったじゃろう。
そして信君がコップをさし出した時に、エイヤ!と君が差し出すコップに喜びとともに入ってきた水たちじゃ。その後の水たちは縁なく流れていったのじゃよ。だから、この水とは縁があるのじゃな。もし信君が少しコップを出す時をずらしたら出会わなかった水たちじゃ。そう明日は出会えない水なのじゃよ。今日だけの、今日しか会えない水なのだよ。信君に出会うために遠く旅してきた水たちじゃ。いつくしんで水を飲んであげなさい」
もちろん子供だったことで暗示がかかりやすいこともあるだろう。でも、その時の「水」は確かに美味かった。
それから和尚は「信くん。信君は水を飲む時、いつもの水と思って飲んでいる。それでは本当の水には出会えない。水に出会うためには、今日の縁のある水だと思って、いつくしんで飲んでもらわなければ水が可哀想だよ。いいね。目で、耳で、舌で、すべての感覚を開いて世界を見ごらん。それが瞬間、瞬間、一日、一日を味わって生きることじゃよ」と和尚さんは僕を見て笑った。典子さんもその光景を見て微笑んでいたっけ。
今日生きていること、それも奇跡なのだ。今は元気な僕の息子が小児ガンの宣告を受けて京都府立医大に入院した10年前。死と戦う一歳の息子と向き合った日々。小児ガンの病室では、明日この小さな手が自分の手の中から消えてしまうかもしれない・・・この母を見上げるこのつぶらな瞳がいつまで自分に微笑んでくれるのだろう・・・・襲いくる不安と闘いながらせめて楽しい思い出作りをと祈るように笑いを作る同室の母親たち。悲しい時に泣けるのは幸せなことだと思い知らされた瞬間だった。
そんな緊張した笑いの中にも、未来という恐怖が押し寄せてくる瞬間がある。ある見舞い客が「しゅんしゅんは大人になったらなんになるの?」凍る時・・・皆が彼が大人になることを祈る。彼は素直に答える。「お巡りさん」・・・・・・そう彼なら立派なお巡りさんになるだろう。誰もがそう思った。その彼も大人になりたいという夢をそのままに、子供のままで旅立った。
そう、彼らが願った大人の世界に、彼らの望んだ夢の世界に僕たちは生きている。そう彼らの夢見た大人に我々はなったのだ。もちろんイヤなことはあるだろう大人でも、どうしても・・・・。それでも、それでも、彼らが病のふちで、消え入りそうな声で涙ながらに「大人になりたい」と願った「夢」の世界に僕たちは生きているのだ。
くさっていて良いのか!
ふてくされていて良いのか!
しらけていて良いのか!
笑わなくて良いのか!
楽しまなくて良いのか!
胸ぐらをつかんで、詰め寄らねばならない、自分にも他人にも・・・・
インディアンから学んだこと、それはとてもシンプルであたり前のこと・・・
幸せはいつも僕達の隣に、発見されることを待っている。そして僕は最近は生きていることの喜びを感じるたびごとに空を見ている。彼らの夢を背負って。
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