夢は平原をかけめぐる・・・・PartU | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■夢は平原をかけめぐる・・・・PartU
2001年11月5日
 悲しみの歴史を刻むウンンデッド・ニーから僕は一路Michikoさんの村に北上した。Michikoさんとの約束の時間まで、充分に時間があったが昨日サンダンスに出会いそこねた僕としては、そこにも訪ねたかった・・・・風に夏の香りを感じた・・・風がクルマの横を心地よくすり抜けてゆく。

 僕はこの地に来て3Dで世界を見ている。自分はクルマの中にいるのにもう一つの視点はクルマを横から、または空からクルマを眺めている。ビロードを敷きつめたような緑の中を白いジープーが走ってゆくのが感じられるのだ・・・・・・。僕はオリの拘束から逃げ出した野生動物のように自由に風を切って走ることに心から楽しんでいた。

 Blue hillのそばのサンダンス会場。昨日の子供達が今日もいるだろうと心して行ったがあてがハズレ今日は彼らの熱烈歓迎は受けなかった・・・・無意識に子供達を探す・・・彼らの屈託のない笑顔が見たくって・・・・でも今日は彼らの姿がどこにもいない。

 昨日と空気が違う・・・

 僕は昨日リボンを結びつけたポールの側に行って呆然と立ち尽くした。男性は胸を尖った棒(ピアス)で刺し、その棒とロープを広場の真ん中に立っている木に結んで胸の肉を吊りながら踊っているのだ。見ているだけで痛々しい。もちろん女性のダンサーも男性をサポートするように真剣に踊っている。

 噂には聞いていたが聞くと見るとは大違いだ。降りそそぐ太陽の下で彼らのシルエットが原始的な時代へと僕をタイムスリップさせる。それは、祈りの歌であったり、燃える炎のせいなのかもしれない。

 文明人から見れば、なんて野蛮な、なんて原始的な儀式だと思うだろう。でも、彼らは自分を安全地帯において、神様に祈ったり、日常の上にあぐらをかいて他力本願的に神頼みすることはない。

 神に自分の欲求をつきつける時(身内の病気であったり、平和な社会の実現であったり)には自分が努力することを知っている。彼らほどギブ・アンド・テイクを実践している人々はいない。何かを得る(テイク)ためには何かを手放(ギブ)さないといけない。その最大のギブが自分の肉体を捧げることになる・・・・それほどに彼らの“願いの切実さ”を物語る。

 日本のように御さい銭箱にチャリンと痛みもしない小銭を投げ込むのとは訳が違う。

 でも日本の国にも、「お百度参り」のように自分自身にムチ打つことで、誰かの病気や戦いの苦しみをみずからに同化させ相手の苦しみを引き受けるという精神はあった。  

 彼らの傷みは野蛮な自虐的行為ではない。「愛」なのだ。彼らの傷みが強いほど、彼らの願いは強烈に成就すると考える。だから傷みの中で彼らは心はおだやかなのだろう。彼らインディアンの祈りは決して自分のことではない。すべて他人のためである。
村のため、未来の子供達のためであったり、あるいは母なる地球のためだったりする。

 彼らがあの傷みに耐えられるのは、傷ついた地球や病の人の苦しみが自分の痛みによって相殺されると強く信じているからではないだろうか・・・・・・。だから彼らの表情からは痛々しさより、使命感を持ったものの笑みさえ感じ取れるのだ。

 目的を持たないで働いている人々に苦しみがあるのは「何のために」がないからだ。家族のためにバッファローを追って遥か遠くに旅立つ若者には苦しみはない。その旅の先に家族の笑顔を見るからだ。その瞬間に近づくことが旅なのだ。彼は苦しみを通り越し、その先にある夢を追いかけている・・・・

 現代人が失ったものは、この「何のために」今があるのかを考えなくなったからだ。ビジョンのない旅ほど苦しいものはない。ビジョンのない仕事ほどむなしいものはない。ビジョンのない人類の繁栄もまた同じだと思う・・・・・彼らがかくも美しいのは「誰かのために」が明確だからなのだと思った。

 彼らの儀式の一つに「ギブアウエイ」というものがある。彼らは持ち物をみんな与え尽くすのだ。与えることで自分の中でストックしていた何かが新たな歴史を刻みはじめることを知っているからだ。だから彼らは大切な物ほど手放す。それが持っている歴史やストーリーと一緒に。

 彼らは言う「自分のポケットの中なら、こいつは物語を作れない」と。何かが多くの人の中で生き始める。彼らはその先を見ている。僕が子供の時に大切に収集していた切手と花の種をボトルに入れて厳重に封をして、浜寺(昔は砂浜があった?)の海岸から流したことがある・・・・

 僕は信じていた・・・きっと親のいない子供が僕のボトルを拾うことを・・・僕の家庭もそれほど恵まれていなかったが・・・・・何か温かい気持ちになったことを憶えている。

 講演をする時、教室で誰かに話す時、僕はギブアウエイをしているから疲れないのかもしれない・・・・・とそんなことをボンヤリ考えながら、僕は激しい踊りの中に核とした幸せを見つけた。僕も誰かに、もっと「ギブアウエイしなくちゃ」・・・ため込んじゃいけない・・・・・

 サンダンスに別れを告げ、僕は約束の時間にMichikoさんの村に着いた。トントン「ハロー!ハロー!」とドアをノックしながら声をかけた。すると中からニコッとまん丸顔に満面の笑顔をしたパンツ一丁で七福神の布袋さんそっくり人がドアを開けた。それがメディスンマンのバルニーとの出会いだった。

 僕が自己紹介しようとすると「Michikoから聞いている。さぁ中に入って」という。彼はな・な・なんとパソコンをしているのだ。「メディスンマンとパソコン」歌のタイトルにもならない取り合わせに僕は言葉を失った。

 「何をしているのですか?」「インディアンのサイトを見てる」「なぜ?」「ウソばっかり。真実ではない。」「Untrue????」僕には彼が何を言っているのかよく解からない。ただニヤニヤ笑ってパソコンを見ている。

 そうしているうちにドアが勢いよく開いた。「衛藤さん。ごめんなさい。待たせてしまって。街に行っていたから」とMichikoさんが可愛い子供達と昨日もいた少し大きな少年や少女と一緒に入ってきた。

 そして「ハーイ!」「ハロー!」の声に混ざって「こんにちは!」と一人の女の子?女の人が丁重な日本語で挨拶をした。なんとパーフェクトなイントネーション。「村に日本語がしゃべれる人がMichikoさんの他にもいるんだ。それともMichikoさんが日本語を教えているのかな・・・」と思っているとMichikoさんが、その女性を紹介しはじめた。「彼女は日本人なの」インディアンと結婚している日本人は多いなと僕は心底思った。

 「はじめまして田辺(ミエ)です」「はじめまして。衛藤です」「不思議ね。彼女もアリゾナから来ているのよ。今日アリゾナから来ている衛藤さんの話をしたら偶然だから会おうということになってね。これからミエちゃんはアリゾナに車で帰るの」「車で。すごい」僕は思わず声をあげた。

 距離はぜんぜん判らないがスゴイ距離なのは誰でも判る。彼女はアリゾナの大学に通い、夏休の間サウスダコタのインディアン保留地に1ヶ月半もいたという。アリゾナに車で帰る途中にMichikoさんの村に立ち寄ったと言う。まさにアメリカ縦断だ。

「ところで、バルニー(夫)と話した?」
「いえ、全然」と僕。
「ネイティブ・アメリカンもインディアンのサイト見るんですね」
「あぁ、この人ヒトが悪いのよ。インディアン研究家と言っている白人のサイトを見ては『ウソばっかりが書いている。誤解もいい所だ』と言ってブツブツ笑ったり怒ったりしているの」
「へー。保留地にパソコンがあるなんて驚きだな」
「もちろん、ここだけよ。大変だったのよ。電話だってない家ばかりなんだから。ここは連絡場所なの」

 その後、僕とMichikoさんと田辺さんと、いろいろ話して大いに大笑いした。「日本語で話してばかりだとバルニーが解からないからイヤじゃないかなぁ」僕が気にすると、「いいの、日本人がこんな所に来ることはそんなにないから、私が笑っているのが、このヒトは嬉しいのよ。それに私も母国の言葉でオシャベリしないとストレスが溜まって・・・・」

 「ところで、衛藤さんいつ帰るの」「明日の朝の飛行機で・・・・」「残念ね。明日、スエットロッジするから居れば参加できるのに」「明日、本当に!」ミエちゃんと僕は同時に声をあげた。「明日、スエットロッジとパイプセレモニーをするんだって。さっきバルニーが言ってたから、衛藤さんも参加すればいいのに・・・・ミエちゃんも今日どうしても帰るの?」

 「何時くらいに終わるのですか?」「スエットロッジは夕方から。でもパイプセレモニーは夜中を過ぎてもやっているわね」
「僕はムリだなぁ。飛行機、次の日の朝だし。」

 Michikoさんは問題はないとでも言うように「キャンセルすればいいじゃない。そうだ衛藤さんも、ミエちゃんの車に乗って帰ればいいじゃない。さっきミエちゃんと話してたのよ」「そうしてください。私も一人では心細いので。行きはインディアンと結婚した別の日本人の女性と、そのご主人と一緒だったから良かったんですが、帰りは一人なんだと思うと不安で・・・」

「そうか・・・・でも、自信ないなぁ」

 もちろん一度は笑って断りました。女性と帰るのは抵抗があったし、車でそんな未知の距離は走ったこともなかったし、メールもたまっていることだろうし・・・・・・・でもスエットロッジにパイプセレモニーも捨てがたいし・・・・走って帰るのも“独り言”のネタにもなぁ―・・・ああ葛藤!

 「分りました。飛行機が上手くキャンセルできて、飛行場に迎えに来るスーザンさんに連絡がついて、ニューヨークから帰って来ているであろうスウィニーに尋ねて、置いてきぼりにした愛犬ブレンディーの無事が確認できたらね。その条件が整えば明日のお昼までに、お返事します」 その日、僕は南に下りホット・スプリングスのモテルに宿をとった。

 僕は次の日の朝早くモテルを出て385線をキーストーンに向けて北に上がり始めた。途中カスターという小さな街を通り抜けようとすると道の両側に、人がたくさん集まっている。みんなが笑顔だ・・・僕は通りを抜けて町の裏をUターンして大通りの裏の道に車を止めて歩いてみた。

 町の人々が西部劇に出てくるカッコをしている・・・・「Excuse me . What are they doing?(何の集団です)」「The parade.(パレードだよ)」

 へーェ、パレードか。僕も道のわきに腰をおろした。手作りパレードだ。警察は昔のシェリフのカッコで。消防士は消防車の上にカンカンダンスの女性を乗せて?? それぞれが子供のために道にお菓子を投げる。子供たちが嬉々として袋に入れては親に自慢している。空悟や実夢を連れて来たら喜んだろうな・・子供達の顔が頭によぎる。

 イギリス風にタータンチェックを着たパイプ笛のおじいさん軍団や馬に乗ったカーボーイ達。少し大きな子供の仮装行列・・・・・
「ミス・カスター」のタスキをかけて手を振る老婆は40年前のミスだ・・・・・・
町の人が声をかける「俺が知っているミスの中では、あんたが最高だぜ!ばあ様。」
「あんたが子供の時からミスやっているんだからね」とパレードをする者も、見物者も親しいのが見てとれる。年に一度のお祭りらしい。僕は九州の村祭りを思い出していた。町が町として機能している。うらやましかった。

 旅は思いもしない新たな刺激を与えてくれる・・・・・これがやめられない。

 僕の心は飛行機で一足飛びにアリゾナへ帰るより、ドライブしてアメリカを縦に帰ることに心が傾いていた。授業の開始まで、まだ余裕があるし。一人で日本縦断の距離を走るのも大変だろうな・・・・向こうが信頼してくれているのなら、それにしっかり応えれば良いわけだし。後はこちらサイドの心がまえの問題だ。「よっしゃ!陸を走って帰るぞ」と車の中で叫んでいた。

 僕はサウスダコタをドライブしているうちに風を切って窓を開けて走ること、人との出会いのダイナミズムのとりこになっていた。 Michikoさんに連絡し、スエットロッジが始まる前までにそちらに行くことと田辺さんと車で帰ることを告げた。

 そうこうしながらクルマを走らせていると、クルマの前に自然保護官の制服を着た女性が前を走るクルマを静止している。僕は窓を開けて「何ですか?」「ここからパークの入り口です。費用は5ドルよ。それは3日間いつでも出入り自由できるパスの費用だけど」キーストーンという所に向かって走っているうちに、カスター・ステート・パーク入り口に迷い込んでしまったのだ。

 アメリカのナショナルパークは大きな看板がないときがある。ましてや、日本のように「いらしゃいナショナルパークへ」のアーチ状の入り口もない。「Uターンしますか?」「いや、通り抜けます。教えてもらっていいですか。僕、キーストーンに行きたいのだけど」彼女はナショナルパークの地図に黄色いマーカーで道順に色を塗った。「この道を行けば、キーストーンよ」保護官の帽子に制服が決まってる。

 「ありがとう」と僕。「楽しんで」と彼女に送り出されて、僕はナショナル公園の中を進んだ。公園という響きがここ「アメリカのパーク」にはピタッとこない。僕にとって日本の公園は全体像が想像できる。ここのパークは自然の中に入って行くという感じなのだ。

 僕はここの景色がすぐに気に入った。緑が豊かで、時折、ロッククライマーなら涙を流して飛びつきそうな切り立った岩があり、また、緑がそれをおおう。湖がいくつもあり、キャンピングカーエリアもたくさんある。

 バッファローをはじめ、エルク、ビッグホーン・シープ、ホワイトテール・ディアーなども自然に草を食んでいる。砂地を見るとブラックテールド・プレイリードッグが好奇心一杯にこちらを見てる。

 僕は窓を全開にして緑の空気を全身に循環させた。緑のエキスで身体を洗濯。細胞が喜んでいるのがわかる。

 走りながら「何の木なのだろう」気になる。・・・・・小さな葉がクルクルといっせいに光と風を巻き込んで手を振る・・・・いや手を振るように見える。
 僕は人のいないことを好いことに、僕は木々に手を振りながら車をゆっくり走らせた。

 「こんにちは。応援どうもありがとう。来たよ。元気!やぁ。」自分でもおかしいと思うのだが、なぜか木々がこの旅の成功を祝福してくれているように思えてしょうがない。「ありがとう」最初は静寂の木たちも、こちらから手を振ると、手を振り返してくれるのだ。

 これは本当だ! もちろん僕にもおかしいのは充分にわかっている。たとえ、それがアニミズム的幻想でも僕の錯覚でもかまわない。確かにあの時、僕は神話の中にいた・・・・

 今にして思えば、パレードを見た後だったので、そのイメージの投影だったのかも知れないが、僕は自然と友達になれたような気がした。僕は誓った「また来るからね。その時まで、お元気で」声に出して言ってすぐに自分におかしくなって「クスっ」と笑った。
木からすれば「お元気では、お前のほうだ。俺達は変わらずここにいるさ。そこの人よ、お前の寿命は俺達からするとあわただしい。元気で、また来な」僕は自分の時間の速さを感じさせられた・・・・・充実させなければ・・・・

 インディアンは「木」を背の高い兄弟と呼ぶ。僕は言った「背の高い兄弟よ。お互いこの地球でつながっていようね。ずーっと・・ずーっとね」

 カスター・ステート・パークを抜け、マウント・ラッシュモア・ナショナル・メモリアルに来た。ここは山の側面の岩場に四人の大統領の顔があるところ。左からジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、フィートア・ローズベルト、アブラハム・リンカーンが岩に刻まれている。

 もともとここはインディアンの聖地のブラック・ヒルズ。そこに自分達を迫害した白人の象徴を彫り込んだのだ。日本人にあてはめて見れば富士山にマッカーサーの顔を彫り込んだのと同じ。戦後すぐにそんなことをされたら日本人は傷ついただろう。メジャーな観光地でも裏を知ると残酷なものに見えてくる。

 僕はそこから244号線を西に向かい、今見てきたナショナル・メモリアルに抗議するかのようにインディアンの英雄クレイジー・ホースの像を山に彫っている「クレイジー・ホース・メモリアル」に向かった。

 スーザンは前に語ってくれたことがある。「当時、白人のもたらした写真機に写ることがインディアンの首長の間で流行したの。きっと自分の威厳を後世に残したかったのでしょうね。でも、クレイジー・ホースは決して写真機の前に立たなかったの。だから、クレイジー・ホースの肖像は今でも誰も持っていないの。今でも時よりマスコミではクレイジーホースの写真を発見なんてことが話題になるけど、いつも後で偽者とわかるのね」

 僕はその話を聞いた時、僕の憧れていた坂本竜馬の写真を見たときのことを思い出した。イメージの竜馬と写真の竜馬が重ならなくて違和感を感じたことがある。英雄は人々の心の中に住むものなのだと思う。

 クレイジー・ホースが写真機の前に立たなかったのは、白人の前に屈するように思えたからだろうか・・・・自分はビジョンの中で、白人の弾には当たらないと信じて、白人の銃弾が飛び交う中をさっそうと駆け抜けたクレージー・ホース。彼はビジョンで見た予言どおりインディアン仲間の裏切りの前に倒れた。

 彼はたくさんの血を流し、死のフチをさまよいながらも白人の手から仲間達を助けてやれなくなったわが身を悔やんだという。最後の最後まで彼はリーダーであった。今でもどこにクレージー・ホースの遺体が葬られたのかは誰も知らないという。(詳しくはスーザン・小山のアメリカ・インディアン死闘の歴史を参照)

 その英雄を聖地ブラック・ヒルズに1940年からスコープター・コクザック・ズィオルカプスキーがインディアンのチーフ、スタンディング・ベア―の要請でクレイジー・ホースの像を彫り始めた。これは最初に見た大統領の顔を彫ったラッシュモア・メモリアルと比べられないくらいに大きい。馬にまたがり前方を指差すクレージー・ホ−スはインディアンの英雄像そのものなのだろう。

 今はコクザックの息子と他の9人の子供達がサポートしながら作業は続いている。合衆国の援助を拒否しながら寄付だけで作業は続いているという。写真機の前に立たなかった無口な戦士クレイジー・ホ−ス自身は観光客の目にさらされることを本当に望んでいるのだろうか?  英雄は心の中に吹く風だ・・・・・・

 今の時代は、神話は生きにくい時代だと思う・・・・・僕は風になりたい。

 普通の観光客になった後、僕はMichikoさんの村に入った。プレハブの家の中は暑いらしく皆で外の木陰に出て語っていた。のんびりした村の風景だ。旅人の僕にも居場所が自然にあって微笑んでいるだけで心が落ち着く。バルニーが気を遣って馬に乗ることをすすめてくれるが、鞍のない裸馬は乗ったことがないので遠慮して「少し怖いな」と言うと「俺もだ」と彼も笑う。屈託ない冗談が彼は好きだ。

 バルニーの弟、シュビちゃん(みんなが呼んでいる)の家に行った。彼もまたメディスンマンだ。たくさんの子供達がここにもいる。「この子の親はこの子を産んでどこかに行って行方不明」「この子の母親は次から次に子供を産んで父親が全部違う遊び人だ。この子は白人の子だ」と指差した子供は確かに白人だ。村にはそのような子供が多い。Michikoさんが「この子可愛いでしょう。ブラッド・ピットみたいでしょ」

 「本当に男前ですね」これが本当に可愛い顔をしている。「この子は私達がオムツを取ったのよ。この子は大変だったぁ。今でも綺麗な顔をしているけど、小さい時は天使のようだったよ。ネー」とMichikoさんが彼の頭をなぜる。この村ではすべてが家族なのだ。血はさして問題ではない。歴史が血に勝ることがわかる。

 でも、子供達のはにかんだり、笑う顔がとてもかわいい。そうだ子供はこうして笑うんだ。くすぐったい顔。照れる顔。ふくれる顔。素直な表情の展覧会だ。日本ではこんな子どもたちがいなくなったような気がする。

 日本の子供達は、どこか大人を気にして、大人びた子供が多い。顔中砂だらけにして遊んでいる子供達は、僕たちが地球の一部だと感じさせてくれる。僕は自分を反省した・・・学校の帰りに集団下校の子供達の中で息子の空悟だけが、シャツが出ているのが気になって注意している自分が子供の笑顔を消している大人の仲間なのだ。この中にいれば空悟なんて模範生の中の模範生。こじんまりとまとまり過ぎている。しばし僕は考えこんだ・・・・

 さて、7時は、はるかに過ぎたのにスエットロッジが始まる雰囲気もなく、みんなで延々にオシャベリしている。僕は時計をチラチラ。今にして思えば僕はこのときも時間の観念に縛られていた。

 横にいるミエちゃんに「いつ始まるのかな?」「んー判らないけど。これがインディアンタイムなの。私も最初戸惑ったけど、でもね『正しいことは正しい時におこる』の。それに衛藤さん見ててごらんなさい。この人たち動きだしたら速いわよ。狩猟民族の彼らは、獲物がくるまではこうやって過ごしていたのね。でも、動く時はいっせいに動くわよ」と耳打ちしてくれた。

 それから多くの機会にインディアンと触れ合ってミエちゃんが言ったことはホントだと確信している。彼らはティピーを立てる時も、火を起こす時も動き出したら早い。この時も、ファイヤーキーパー(儀式のあいだ火の世話をする人)の準備ができたという声で、いっせいにスエットロッジの準備が整った。

 ミエちゃんが近寄って来て「衛藤さん。スエットは4ランドするけど我慢大会じゃないから、きつくなったら出てもいいですよ。そして、お祈りをみんなでするのだけど、それは日本語でも良いですからね。自分の気持ちが一番こもる言葉が一番なんです。彼らも大切な祈りの時には昔使っていたインディアンの言葉を使うのね・・・・だから、自分の細かい心のニュアンスが伝えられる母国語が一番なんだと思うの・・・・

 ただし、祈り終わったら合図にインディアンの言葉で「ミタクエオヤシン」と言ってください」「エーッ『ミタコトナイシン』だっけ」「いえ、ミタクエオヤシンです」「わ〜憶えられヘン。キムタクがオヤになったと憶えよう」

 「違いますって。ミタクエオヤシンですってば」僕はスエットロッジに入るまで、この言葉を4回もミエちゃんに聞いていた。本当に記憶力が落ちている・・・・・最後には「私の横にいてください。分らなくなったら私が小声で教えますから」「よかった。よろしく」

 スエットロッジはラコタ語でイニィプーと言い、子宮を意味する。だから形は子宮をシンボライズして半球形のドーム状だ。どこの部族も少しづつやり方が違うが、共通しているのは浄化と再誕生の儀式であるということだ。

 入り口は狭く、日本の茶室に入るような感じ。僕がスエットロッジを経験したのはこの時が最初だった。子供の頃、仲間で作った秘密の隠れ家に入るような気分に似て好奇心でワクワクしていた。

 ティピ―(彼らのテント)に入る時も腰をかがめる。これは何かにへりくだる神聖な気持ちと、新しい世界に入る独特な気分を作り出すのに役立つ。中に入ると入り口が開いている時は薄暗く、中央に地球のヘソと呼ばれる穴がある。ここに真っ赤に焼いた石を入れてゆく。決して掘りごたつ気分で足なんて入れたら大変なことになる。

 そして、メディスンマンは入り口と反対の奥に座る。そして次々とヘソを中心に数人から十数人が、そのドームの中に座る。準備が整うとファイヤ―キーパーが次々と焼けた真っ赤な石を運び込む。真っ赤になった石は半透明に見える。まるで生命があるように。僕は思わず声をあげた「スゴイ。石って真っ赤になると表情があるんだ」隣でミエちゃんが「そうね」と共感してくれた。

 バルニーの「閉めてくれ」の声で部族の若者がドームのドアを外から閉める。その上から幾重にもカバーをかける気配がする。真の暗闇だ。でも、赤い石たちが地球創世の時の輝きでドーム中を照らしている。この輝きは赤色ではない。透明な赤だ。

 地球の子宮の中には不思議な安心感がある。その燃える石にセイジの葉とスギの葉などをブレンドした粉を振りかけると強く甘い香りがドームに広がる。石は多くの歴史を沈黙のうちに見てきた古いお祖父さんだ。長い歴史を見てきた知恵とその忍耐を水の精霊のパワーを使って最大限引っ張りだすのだ。

 意思を持って、何かを語りたがっている石にバルニーが聖なる水をかける。ブシュ―ッ!シューッ!なんとも心地よい音。蒸気が一気にドームをかけめぐる。熱い石にさらに水をかけ続ける。ジュ―ッ!ブシュ!ブシュブシュブツ!闇の中でみなが祈りの歌を歌う。

 鼻から肺へとスチームを吸い込むと、鼻に喉に胸に浄化の力を感じる。スチームの霊的パワーが血に入り、体中の細胞が清められ強化されてゆくようだ。熱くて苦しいけどエクスタシーすら感じる瞬間がある。体内に溜まっている心の毒と老廃物が吐き出す息や汗となって滝のように流れ出す。

 スエットロッジを伝えてくれたスピリットに祈りを捧げて、地球や石の祖父のスピリットに感謝を捧げ、石をエネルギーで満たしてくれるスピリットに、その石のパワーを引き出す水の霊に、浄化のスチームを運んでくれる風のスピリットにも挨拶をし、感謝の気持ちを捧げる。

 すべてのパワーを借りて自分を再誕生させるのだ。全員で特定の病人の人を思い浮べ、スチームの霊力を送れば地球のどこでも届くという。スエットをしている時間に腫瘍がウソのように忽然と消えたという話も聞いたことがある。

 しかし、苦しい。俺はニッポン男児の端くれ決してギブアップはしない。「開けろ」バルニーの掛け声で、周囲からドームにかかっているカバーが少しめくられる。外気がドーム内へと流れ込む。「気持ちいい!」「衛藤さん大丈夫」Michikoさんが声をかけてくれる「何とか」と僕。Michikoさんが「今日はいつもより熱い」ミエちゃんも「ほんと熱いです」「良かった。それを聞いてホッとした。けっこう熱かったから僕が軟弱なのかと思った」一同笑い。

 第二ランド、解からなくても一緒にリズムに合わせて歌っていると楽だと気づく。

 第三ランド、段々と慣れてくる。僕の隣にいた部族の人が、僕の顔を見ながら「今日はキツイから俺はお先に出るね」と言って出て行った。ガマン大会じゃないの意味がわかって心が楽になる。いつでも出れるんだと思えば、心の圧迫感が取れて不思議と苦しくなくなった。

 でも、彼は僕のためにワザと出たのだと後で判った。インディアンは親切心をアピールすることはしない。さりげなく人の心にサポートを入れるのだ。それぞれがワカタンカに祈りを捧げる。人類の平和であったり、生かしてもらっている感謝であったり、自分の迷いであったり・・・・その間に、皆が「Ho−」とあいづちを入れる。

 これがすごく共感的な響きがある。僕は祈りの中で「この世の真実が知りたい」と言うと,絶妙なタイミングで「ホー」と言ってくれる。「争いはイヤだ・・・」「ホーホー」日本語なのに何で判るのという感じなのだ・・・・

 問題は祈りの後のミタクエオヤシンが出てこない。「キムタクがオヤ?ですからキムタコ?キミタコ?あれ・・・」「ミ・タ・ク・エ・オ・ヤ・シ・ン」と横で言われるのだけど、パニックって出てこない。「ホー(Ok)」みんなの無理しなくていいよがホーだけでわかる。

 ホーにも色々な抑揚で「そうなのかい」もあれば「悲しかったね」「大丈夫」もあるし「無理するな」もある。まるでサザエさんのイクラちゃんの「バブー」だ。彼はあれを40年近く言っていることになる。

 第四ランド、僕はこれだけ汗が出るんだと思うほど汗が出る。
歌の中で「憎しみ、怒りは恐怖から生まれた子供だと」歌う。「今、蒸気が暗闇に潜んでいる恐怖を引きずり出している。内に潜んでいる孤独を探している・・・そんな感情を見つめて・・怒り・嫉妬・・もうイヤだと思えば、この蒸気の中に流してしまいなさい・・・手放しなさい・・・」と歌は続く。

 どこからともなくすすり泣きが聞こえる。でも、みんなが「ホー」と言ってくれる。「ありがとうみんな」僕は裸になってみんなに支えられているような気がした。

 最誕生(リボーン)新生の時、生まれた時そうだったように僕はよろよろと子宮から出た。生まれたばかりの開放感が僕を満たす。僕は濡れた身体を芝生の上に横たえた。体から湯気が幾重にも昇る。みんなが芝生に寝ころがって湯気を出している。

 「兄弟。大丈夫か?」声をかけてくれる仲間。僕は小さくうなずいた。星が満点に輝いている・・・・僕は新しい家族を持った。新しい家族の笑い声がする。僕はその談笑の横でいつまでも湯気を出しながら星を見ているのが嬉しかった。大地が僕をやさしく包む。


 生きるのに何がいるのだ。そんなに何もいらないのだ。ありがとう。兄弟。姉妹。その夜の星空は一生僕は忘れられないだろう。





 それから続いて、パイプセレモニーが、グランドマザーの家の地下室で行われた。セイジのケムリで場所を清める。たくさんの人たちが村から集まってくる。子供を連れて。地下室の床はカーペットが敷かれていて子供達は夜中遅くもあってか、みんな床の上で寝ころがっている。僕の足の下にも子供達が何人か寝ていた。

 バルニーとシュビがパイプ・キーパーを勤める。太鼓と鈴の音が響き渡る。電気が消されると地下室は、真の暗闇になる。歌とリズムが響く中・・・・パイプが廻ってくる。儀式にのっとってパイプを肩に当てて、前で回転させる。暗闇だから間違ったが、この時は気づかれなかった。

 一番いけないことはパイプを落すこと。でも、暗くて隣からパイプが廻ってきた時に上手く受け取れるかが心配だった。僕は相手の身体に触れ、続いて腕に触れ、それから腕にそって手づたいにパイプを受け取った。

 深くケムリを吸い込み、東西南北にケムリを履く、そして大地と天にも煙を捧げる。そして自分の頭や顔に振りかけるようにケムリを手であおぐのだ。なぜか、なつかしい。大阪の水掛不動さん。線香で身体を清めているみたい。

 それぞれが、今の抱えている問題を語り合う。だから、村の人はみんな村の人達の不安や心配を知っている。でも決してお節介にアドバイスをする人はいない。ただ、周りの暗闇から「ホー」「ホーッ」「ホーホー」と絶妙なタイミングで聞こえてくる。みんなが自分の話を聞いてくれている。安心して良い場所なのだということがわかる。話しながら泣き声に変わる人もある。

 ただ、不思議なのは真っ暗なのに光が宙を飛び交うのがわかる。僕は不謹慎にも人の話を聞かず、その光の行方を追っていた。僕は眼をこらして見ようとするのだが正体がわからない。インディアンの人々はそれを精霊と呼ぶ・・・でも、決して怖くもオドロオドロしさもないのが自分でも不思議だった。

 猜疑心の強い僕はいろいろと考えた。誰かが蛍光塗料を塗ったものを持って動き回っているのだ、でも、それにしても床にところせましと寝ている子供たちを踏まずに歩きまわるのは不可能だ・・・

 僕は子供の誰かが「ママ、僕の足を誰かが踏んだ」という声が上がるだろうと待った。しかし、母親に甘えて「抱っこしてよ」と言う声は聞こえたが、子供たちは静かなものだ。それともヒモをつけて飛ばしているのか?それならば、僕の頭の周囲を飛ぶときに一度も僕の頭に当てずに飛ばすことは、この暗闇の中では不可能だ・・・・

 あれこれ考えている自分がバカらしくなった。何だっていいのだ。現にみんなは光に声をあげることもなく、みんなで人の話にサポートし合っている。ワカンタンカが存在することは彼らにとって明らかであり、確認する気にもならないぐらい日常なのだ。

 彼らは精霊とともに生きている。ほら、そんなことを気にしているから、また忘れちゃったじゃない。「ミタクエオヤシン(我らは、皆つながっている)」僕はつながっていなかった。確かに。ゴメン!

 パイプセレモニーの後で、みなに配られたインディアンの食事のおいしかったこと。僕は旅人の違和感がなかった。みなが家族として受け入れてくれるのを感じていた。さっきまで知らない人達が僕の肩に手をあてて仲間に入れてもらえるだけで幸せだった。

 その会は終わりがない・・・・寝ている子供を抱えて帰る夫婦。誰もが帰るときに声をかけてくれる。「旅の無事を祈っています」「グレートスピリットのご加護がありますように」・・・・・ありがとう・・兄弟。

 次の日の午前中、別れの時は淋しかった。ミエちゃんと僕はそれぞれ贈り物をもらった。ミエちゃんはキルトの刺繍が入ったひざ掛け。僕は「ひ・み・つ」でも、「こんな大切なものもらって良いのですか?」と尋ねたくらいだ。

 照れ屋のバルニーはジープの中で眠っている僕を心配してくれた。エアコンをつけたまま、窓を閉めて寝ているのが気になったらしくMichikoさんに「ノブを見て来い」と朝早く起こされたと彼女は笑っていた。彼からの伝言で「ノブのやらなければならない目的は必ず成就するからとワカンタンカが言っていた」と伝えてくれと。メディスンマンらしくアル中で苦しんでいる人の家に朝早く出かけて行ったらしい。

 僕は日本語で「僕の目的」について話したのに、どうしてその意味が判ったのかが今でも不思議だ。パイプセレモニーの時はMichikoさんは参加しなかったし、ミエちゃんは、そんなことをバルニ―に伝えるはずがない。車の中でも僕たちは首をかしげた???

 村のみんなとハグして、僕たちは車に乗り込んだ。空はどこまでも広がっていた。いつまでも手を振る彼らに目頭熱くなる。ミエちゃんに気づかれないように僕は必死だった。きっとミエちゃんも泣いていたに違いない。

 さあ、これからはアリゾナまでの1300マイルの旅。ほぼ日本を縦に縦断するのと同じ。ただ救いはこちらの道は高速料金がいらないということ。走る道はまっすぐで広くって、かなりのスピードが出せるということ。なにより景色が最高に素晴らしい。

 今度の相棒はミエさんの車で、赤のGIO。エンジンはトヨタだ。ただし、今時めずらしい重ハン。要するにハンドルが重たい。パワーハンドルではない。だがエアバッグは付いている。僕は失礼にも「エアバックが標準装備されたのは、ここ10年くらいでしょ。ということはこの車は10年以内に製造されたと思うんだけど、それでもヘビーハンドルなんて。ヘビーハンドルの部品を探すほうが、製造側技術もお金もかかるじゃない今時。製造者のお遊びかな・・・ははぁはぁ」「そうなんです。冗談みたいでしょ」彼女は笑っていたが、目は笑っていなかった。

 それに「よくこれだけ積みましたね」と僕に言わしめた荷物の山。トランクは言うに及ばず、助手席まで荷物。それを後部座席に押し込めて、やっと二人が乗れるという状態。もちろんシートは動かせない。ミエちゃんは「でも、いざとなればキャンプ道具一杯積んでいるから何人でもキャンプできますから・・・」だそうだ。本当にアウトドアが似合う女性だ。

 田辺ミエさんは慶応大学卒業後、放送関係の仕事に従事していたが、突然思い立ち渡米。現在はNAU(ノーザン・アリゾナ・ユニバーシティ)に通っていて、全米でも珍しくParks and Recreation Managementを目指す。パーク アンド リクレーション学部だ。将来はキャンプやアウトドアのコーディネーターをして自然の大切さを子供達に知って欲しいのだそうだ。

 授業に来ている仲間はインドアのクラスより、アウトドアの山が好き。ロッククライミングが好き。外に寝るのが好きというメンバーで、クラスの課題は野外アクティブティが多いという。彼女のほうはセーブマネーでキョンプでも良かったようだが、当時のヤワな僕は申し訳ないが旅の途中はずーっとインドアを選んだ。

 「いよいよサウスダコタともお別れだね」「衛藤さんは未練はないですか?」「そうだな、インディアンの聖地ベアビュートに行って見たかったな・・・」「じゃ。行きましょう。あそこは私も好きな場所だから」「本当にいいの」けっこう話がわかる。この柔軟性と反応の速さなら、僕はきっとアリゾナまで楽しく旅ができるとこの時、感じた。

 僕たちはスタージスにまた北上した。途中僕の好きな町、デッド・ウッドを通りながら、僕はロス博士のサンダンスを求めてこの辺を車でウロウロしたこと、親切なカーペンターの話し、車で事故しそうになったこと、ヒッチハイクのこと、それが今はいい思い出になっていることを語っていた。

 ミエちゃんは「良かったですね」とひたすら相づちだけをうって僕の話をさえぎらなかった。旅の醍醐味を知っている彼女だからこそ僕の冒険旅行がすぐに理解できるのだろう。

 オートバイ好きの祭りのあるスタージスを越えて、79号に入る。すると広い平原に突然せり出したように聖地ベアビュートが見えてくる。「あそこはクマが寝ているように見えるらしいのですけど?見えるかな?私にはどうも・・・」「でも、見えるよ。あそこがお尻であそこが頭」「本当だ。見えますね」

 僕たちは下の駐車所にクルマを止め、そこからゆっくりと登り口から歩き始めた。どこまで登るとも決めないうちに・・・・登り口付近で幾人かのグループとすれ違う。ハーイと声をかけ合う。

 しばらくすると一人の知的そうな男性が近寄って来た。「どこから来たの?」「アリゾナです」「日本人?」「ええ。そうです」「僕は一度日本に行って見たいんだ。今日はしていないけど昨日あそこでスエットロッジをしたんだ」と指をさす。そちらにティピーが見える。

 「あれはあなたのティピーですか? あの中に寝ているのですか」「そう。」「あなたはラコタ族ですか?」「そうだ。オグララ スー、ラコタだ」「今まで僕はインド、韓国、サウスアフリカ、メキシコのアステカに行った」

 そして、ミエちゃんの首にかかっている、メディスンホィールを見つけて「この四色の色は肌の色だと思う。これが白人、これが俺達、これが君達東洋人だ。そして黒人。肌の色は違っても輪になって結び合っている。それがグレート・スピリットの想いだ。輪が分断される時,不幸は訪れる。そして僕はこの四色の色が指し示す方向に行きたいんだ。今この時代だからこそ世界中の人とのネットワークを作りたいんだ。君達と僕が出会えたこと、これは偶然ではない」「そうですね」僕たちはお互いメールアドレスを交換した。

 彼の娘さんがお父さんを迎えに来た。「ここにいたの。みんなが待っているわ」「こちらノブだったかな。こちらはミエさん」「はじめまして。ブレンダです。お会いできて光栄です」「僕たちも」「それじゃあ、みんなが待っているようなので失礼するよ。今日は君達と話ができて有意義だったよ」「こちらこそ」

 「ステキな人だったね。また、会えるかな」「会えますよ。望めば」「そうだね」僕たちは、また黙々と登り始めた。聖地ベアビュートは不思議な山だ。平原の山にふさわしくなく、上に行くほど裸の木が多い。石が剣のように鋭く、そして細かく砕けている。ところどころに赤い布が木や岩に結んでいる。青森の恐山のようだ。

 ビジョン・クエストをしたらしい結界(けっかい)がある。この山に一人でこもりビジョンを求めるのだ。「こんな所で夜中一人なんて怖いだろうな」うつむきながらミエちゃんが「私ビジョン・クエストしたかったのね。でも、リザベーションのネイティブの友人に『心の準備はできてる。でも、時間をかけて準備することがあるのよ』とアドバイスを受けたの」「エー。君こんな所で一人居れるの・・・」すごい女性かもしれない。

 「でも、衛藤さんもMichikoさんの村を見てわかるでしょうけど、みんながいつも子供の時から一緒でしょ。だから、彼らが一人でここでビジョン・クエストするのは私たちが想像する以上に大変なの。きっと一人になることは彼らにとって初めての体験になると思うの。だから、その極限でグレート・スピリットに出会えるのね」なるほど説得力のあるお話し。

 「ここに来れて嬉しいんです。今年は来れないと思ったから。去年ここに来た時、ムーンタイムだったから。私は登れなかったの」「ムーンタイムって?」「女性の月のもの」「あ、そうか」ポリポリ。

 「女性は子供を産む能力があるでしょう。それは大変なパワーなの。だから、ムーンタイムの時にはスエットロッジやその他の儀式にも入れないの。メディスンマンの能力を上まわって儀式に影響を与えるからなの」なるほど、ミエちゃんは僕よりも10歳も若いのにインディアンの情報の多さに驚いた。そして彼女には教えてあげているという偉そうな雰囲気は何も感じない。

 彼女は登りながらセイジ(儀式や清めに使う草)を集めている。「ここのセイジはスゴク、喜ばれるの」そうこう登っていると降りてきた男性が「頂上まで登るの?」「まだ、決めてない」「君達は登った方がイイよ。スゴク頂上にはbutterflyたくさんいて僕は驚いたよ」と言って下りて行った。

 「今、彼なんて言った?」僕はbutterflyが唐突すぎてヒヤリング出来なかった。「Butterflyって。」「だよね。こんな上に行くほど岩だらけな山の頂上にチョウチョがいるわけないないやん。でも、ホントかな」彼女も肩を上げて「サアッ」ってしぐさをした。「とりあえず、登れるとこまで登るぞ」と僕は頂上まで行く決心をした。

 上に行くほど急斜面、木で作った道はあるものの少し足を滑らすと、たくさんの砕けた岩もろとも、どこまで滑るかわからない。僕たちは次第に無口になった。

 しばらくして僕が「カニ食ってるみたいや」「なんですかそれ?」「どんなに楽しい会でも、カニをほじっている時は静かじゃない。『話し気』と言う言葉はないけど『食い気』と言う言葉はあるし」「なるほど、そうですね」「・・・・やっぱ人は真剣だと行動に集中するね。言葉ついやしているときは本気でなかったりして」「ほんとうに、そうかもしれませんね」とミエちゃんも納得していた。

 そうこうしているうちに「頂上まであと1・5マイル」の看板。僕たちは駆け上った。

 頂上、ここがなぜ聖地になるか頂上に登るとすぐにわかる。視界が360度さえぎるものはなく平原が見渡せる。遠くの方は霞んでいて見えない。日本ならこれくらい見渡せば海が見える。でもどこまでも続く平原なのだ。

 そして僕は息をのんだ。「蝶々だ!」たくさんの蝶々が頂上の木で作った4m四方の展望台に舞っていた。見わたしても花らしきものがないのに・・・彼が言ったことは本当だったんだ。チョウチョウは芋虫から美しいバタフライになる。だから夢分析では蝶は旅立ちと再生の意味合いを持つ。そして変化だ・・・・・彼らインディアンが真の目的を知るために、この山でビジョンクエストをする。そして彼らは子供から魂の大人になる。それを考えるとチョウチョウが、ここに居るのはしごく自然なことだと思えた。

 そこで僕はミエちゃんから教わって赤い布にタバコを包んでタバコタイズを作り、僕は頂上の展望台から手を伸ばし木の枝に巻きつけた。

 そして僕たちは遥か下に見える駐車場に重ステGIO君が主人の帰りをおとなしく待っていることを確認して山を下り始めた。

 下り始めてしばらくすると白人の10歳くらいの女の子が「あと頂上までどれくらいなの?信じられない。すぐだと言うから登り始めたらいつまでたっても着かないじゃない。下で買ったお水はパパがもう飲んじゃうし。私はこれからどうすればいいのよ」「どうすればいいのよ。と言われてもね」とミエちゃんは振り向きながら困り顔。

 僕は「もうすぐだから頑張れ」と言った。でも彼女は「みんながそう言うのね。私は下で待ってればよかったわ・・・・ブツブツ・・・」文句を言いながら彼女は肩を上から下に落としながら歩きはじめた。アメリカの子供とお年よりは、見ていてとても飽きない。でも、何を考えているか判らない今の子供より自然で素直だと思う。

 僕たちは山登りに疲れたので、その日は南に下り、サウスダコタのホットスプリングスで宿を求めた。明日はどこにも寄らずにひたすら一日走ることを約束して、それぞれの部屋へと別れた。次の日はすごかった。サウスダコタから西のワイオミング州に入り、そこから85号をひたすら下り、コロラド州を縦に下り、都市デンバーを抜けニューメキシコに入った。クルマのメーターで、その日一日だけで630マイル走ったことがわかった。

 次の日の予定。数あるプエブロ族の中で一番大きい“タオスプエブロ”のいるタオスに行くためにニューメキシコに入ってまもなく85号を西に64号に入った。車はひたすら山道を走った。少しづつ草原から南国の景色へと変化する。ニューメキシコに入ったときには、いつのまにか赤土が目立つようになった。太陽にも勢いがあった。

 64号の山道を抜けた町イーグルネストで宿泊先を探した。この町は、まだ夜の9時だというのに数えるほどしかないレストランがすでに店を閉め、片付けをしていた。閉めかけている従業員から聞いた場末の酒場に僕たちは行った。いくつかビリーヤード台がある、カーボーイハットをかぶった男達がビール片手にゲームをしていた。

 僕が「ニコッ」と笑うと男の一人が笑顔で応えた。「ここは大丈夫」アメリカの町で危険を嗅ぎ分けるのは最初のインプレッションなのだ。僕たちはそこで唯一の料理、ハンバーガーをほうばった。今日は食べれないと内心思っていたのでこれほど上手いハンバーガーには二度とおめにかかれないと思うぐらい上手かった。そして600マイル走覇記念にビールで乾杯した。やっぱり南に来るとコロナが最高に上手い。

 僕は自分の部屋に入った後、インディアンの保留地に入ってから連絡できなかった家族に電話した。600マイルの感動を伝えたくて・・・・・・。

 次の日、僕たちはミエちゃんのすすめで、タオスプエブロの人々が住む「タオス」に入った。ミエちゃんいわく、「なぜか、なつかしさを感じる村」・・・・確かに・・・・山のイタダキにあって、静かに澄みきった小川が流れ・・・時間の止まった街。

 でも、ここは古代タオスプエブロが作った古代都市(シティー)なのだ。それは幾重にも土で上に積かさなった街。ここに来て蜂が多重構造の巣を作るように、人にも同じイメージ「住居=巣」を共有していることがわかる。旅の後でわかった事だが、ここは心理学者のユングが訪ねてインディアンが「無意識の世界」で、それぞれのすべてがつながっているということを確認し「シンクロニシティ」の基本を創った場所でもある。

 当時ユングはプエブロのメディスンマンにたずねた。「どうして白人が麻痺していると言うのかね」タオスプエブロのビアノ(山の湖の意)は「白人は頭で考えると言っている」と応えた。ユングは驚いて「もちろんそうだ。君たちインディアンは何で考えるのかね」と反問した。「俺達は、ここで考える」と彼は自分の胸を指差した・・・ユングは自伝の中で「このインディアンはわれわれの弱点を衝き、我々に見えなくなっている真実を明らかにしてくれた」と語っている。(ユング自伝2みすず書房より)

 文明の限界を感じる現代ではなく、文明のすべてが素晴らしいと思われていた1900年の最初に、タオスプエブロの長老は、それを指摘していたのだ。ユングは「一人一人のインディアンに見られる、静かなたたずまいと『気品』のようなものが何に由来するかわかった」と語っている。

 村の上には雲がゆっくりと流れ、川のせせらぎがかすかに聞こえる。村の子供達の笑い声が村の中央の広場に響いている。ニワトリの声までが、時間が、ここでは違う顔をすることを教えてくれる。風にも失われた時代の香りがあった・・・・・

 僕は「風」が好きだ。好きな理由は風にはたくさんの情報がおり込まれていることを知っているからだ。僕は日本を歩いていても、見慣れた現代なのに、ふと吹く風の中に違う時代の気配を感じることがある・・・・風は時には幼かった頃の僕に会わせてくれたり、時代の香りを運ぶ。タオスプエブロは風の街。やさしい風が吹く・・・・・風に耳を傾ける都市。

 僕たちは、そこから宮沢りえさんで有名になったサンタフェに向かった。
 途中で、聖なる砂があるチマヨの教会に立ち寄り、フイルムを入れるプラスチックのケースに「ホーリー・ダート(聖なる砂)」を詰めた。「何の旅だかわからない」と言いながら。

 この教会には不思議な「気」が流れていた。
 僕が好きですでに3回も行ったアリゾナのセドナにある教会にもとても不思議な「気」が流れているが、セドナが陽なら、この教会は陰で、病を治したいという強い願いと、救われることを求める強い祈りが流れているような気がした・・・・そこから僕たちはリゾート地と化しているサンタフェに入った。ステキなお店が並び、ステキなレストランがある。

 インディアンの文化とメキシコの明るい色と白人の軽快さが交じり合った独特な街「サンタフェ」。
 日本にいる頃なら、間違いなくここが一番と言ったであろうリゾートの街。オシヤレなインディアン・ショップもたくさんある。新進気鋭のアーチスト達がインディアン・カルチャーをオシヤレに変身させている。絵や雑貨にいたるまで美しく華やかだ。

 でも僕には、そのにぎやかさが、カフェに入っても落ち着かなかった。気持ちのチャンネルが合わない時はこういうものだと思う。僕たちお互いは今日中に家に帰りたかったので、サンタフェを後にした。僕達の住むアリゾナに向かった・・・・・

 40号を西にフラッグスタッフへ。フラッグスタッフはアリゾナの中でも涼しく緑におおわれた美しい町。何回か前の“ひとりごと”で書いたように、僕が最初にインディアンに会った町。グランドキャニオンもサンフランシスコピークスを後ろにひかえさせて、西はラスベガスやロスへ、東はインディアンの思い出が詰まったニューメキシコへの通過点。アメリカの門前町といったところだろうか。ミエちゃんはここに住む。

 しかし、ここから3時間離れた僕の住むフェニックスに、僕と一緒に行ってもらわねばならなかった。この旅で僕の横にチョコンと座りナビ役を果たし、僕にインディアンの文化を語ってくれた役割もフェニックスで終わり。ここからはイヤでもフラッグまで彼女が車を運転をして帰らなければならなかった。それが一番心配だった。

 僕たちは住所を交換して最後にハグをして別れた。彼女も旅の終わりが来たのが淋しそうだった・・・・僕も手を振りながら陸を走って帰った感動と寂しさが入り交じった気持ちで彼女と相棒GIO君に手を振った。僕の家まで1289マイル。彼女に電話で後で聞いたら彼女が家にたどり着いたのは1600マイルを越えていたとか、すごい!


 僕の夏の旅はこうして終わった。


 すべての出会いが奇跡だった。みんなが優しかった。アメリカの大地の大きさを知った。
 自然を失ってはいけないと思った・・・・・・


 写真家の星野さんが電車に揺られながら、この瞬間にもクマが野を走り、クマが草木をわけて歩いているんだ。僕たちは同じ時間軸上の中で生きていると、ある日感じた・・・・・
 クマの生きている息吹、鼓動が聞こえたという。 そう僕たちは同じ時間の中で生きているのだ・・・・そして彼はカメラを片手に飛び出した。一番、時間を楽しめる場所にへと・・・・

 僕も今年の夏は、この自然と、たおやかに流れる時間に見せられてしまった。僕は夏が来るたびに思い出すだろう。

  今も同じ時間にあの大地・あの空・あの雲・あの風・・・・・・
      空気はあの場所にあるのだろうかと・・・・・。
      失いたくはない自然・・・・
 ビルの中にいても、街を歩いていても、そして講演していても、僕はふと思い出すのだろう・・・・
      あの自然は今もこの瞬間にも、あるのだろうか?と・・・・・・

  僕は街の生活に戻れるのだろうか?
      あのにぎやかすぎる街の生活に・・・・・・・

  僕の新しい夢。いつかたくさんの子供たちを連れて旅に出よう。
     彼らの瞳の中に未来が輝くことを確認しながら・・・・・・。

           未来の風よ永遠に吹け!






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