死者からの伝言 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■死者からの伝言
2001年4月19日
 春、新緑の季節。上着を脱ぐように心のプロテクトを外して穏やかに生きたい季節です。

 春のおだやかな季節の中で自分を許せない人がいる。心のオモリ、そうトラウマ。それがあるから歩きにくいと彼女は言う。自分は生きるにあたいしないのだと彼女は言った。

 彼女のお父さんは数年前にガンで亡くなられた。突然の入院、突然のガンの告知。次から次へ打ち寄せる悲しみの波。そんな緊張の連続がガン患者を抱えた家庭にはついてまわる。そんな苦しみの中でも彼女は恋をしはじめていた。職場で憧れの先輩。
 父に自分がガンであることを知られてはいけないという緊張と、先に明かりが見えない陰うつの日々。そんな生活の中で、彼女は憧れていた彼とデートする約束を取りかわした。
 
 初めてのデート。

 それは寒さの中で感じた、春のおだやかな陽射しのような出来事。ほんの少しの平和なひと時だったのだろう。
 
 デート当日の朝。お父さんの治療法を延命治療に変えた日でもある。
「その日、弱音を吐かないお父さんがつらそうだった」と彼女は悲しい思い出を語りだす。心配している彼女を気づかってか、薬が効いたのか、昼からはテレビを見るほどに良くなった父。その父の様子に安心して、後ろ髪を引かれながらも彼女は初めてのデートに出かけた。初めてのデート。その楽しい夜に彼女のお父さんは亡くなられた。
 デートの相手と別れて、留守番電話に飛び込んできた焦っている母の声。あわてて連絡をいれた彼女の耳に飛び込んできたのは父の訃報と「あなた、こんな時にどこにいたの」と責められているような感覚。「お父さんが苦しんでいたのに、自分は男と会っていた」それが、彼女のトラウマになる。彼女は自分が死ねばよかったのにと自分を責めている。

 それからしばらくして「デートの時に、お父さんが死んだの」と自分を責める彼女に、いたたまれなくなってデート相手であった彼は彼女のもとから去ってしまった。

 そのデートの相手に今だに心引かれている。そんな自分は最低だ、と彼女は自分を責めてゆく。未練がましい自分が自分で許せないらしい。 父が苦しんでいる時に会っていた人。 お父さんのことを忘れて、笑い語っていた相手。そんな相手を追いかけている自分がなお許せないと彼女は言った。

 彼女は、ますます自分を追いつめてゆく。 彼女には許せないのだ、そのあまりにも人間らしい正直な感情が。 その素直な人の心の動きが、彼女をさらに罪の意識にかり立てて行く・・・・。

 春のおだやかな陽を浴びながら、僕は考える。子供たちの笑い声が外で踊っている。
 僕が死ぬ時にどうだろう。僕ならきっと子供達には恋をしていてほしい。何かに感動して、目をまん丸にして笑っていてほしい。終りそうな恋でも全力で体当たりしていてほしい。それが人間そのものだから。
 僕は「親が苦しんでいるのだから、お前はそばで泣いててくれ」そんなナルシストにはなりたくない。そこまで自己愛に溺れたくはない。それが親の愛情だと思う。
 彼女の父の気持ちは誰にも判らないけれど。
        きっと人の親なら人生の瀬戸際で自己中心になることはあるまい。

 父さんは大丈夫だ。父さん、よかったと思ってんだよ。おまえがデートに行ってくれて。そりゃ初めてのデートだもの、行かなきゃなぁ。 その時のおまえは輝いていたんだろうね。 照明がまばゆく見えただろね。おまえはきっと、いつもの笑顔で笑っていたんだろう。
 そう、恋する時には誰もがそうなるんだよ。病室で、父さんの苦しむ姿をおまえに見せるよりずーっといい。そうずーっとだ。ほんとだよ。強がりで言ってるんじゃない。
 だって父さんはおまえの笑っている顔が、おまえが小さい時から大好きだったんだから。だから、おまえが病室にいなくてよかったのさ。父さんも頑張ったんだけどダメだったんだよ。でも、お前がこの世にいてくれる。それで充分なのさ。お前が生きていてくれる、それが父さんが生きた証しさ。そんな愛するおまえが病室で泣いていなくてよかった。苦しまなくてよかった。 ほんとうにそう思ってんだよ。

 彼に去られておまえも淋しいんだろうね。でも、その苦しみも生きている証拠なんだ。笑っておくれ、やっぱりおまえの笑顔は最高だから。おまえの良いところは子供の時から父さんが一番よく知っている。だからさ、それがわからない男ならしょうがないんだよ。きっと父さん以上にそれを理解できる人がきっと現れるんだね。父さんの変わりにおまえを守ってくれる人が。
 大丈夫、おまえの笑顔があればね。おまえの幼い時から、その笑顔でどれだけ父さんはくじけそうになっても乗り越えてきたことか。
 だからさ、さあ、愛する娘よ笑っておくれ。 
               父さんの好きだった子供の頃のあの笑顔で・・・・

 僕は彼女のお父さんの気持ちを代弁できないが、僕は自分の娘には、そう言ってやりたいという気持ちを彼女の話を聞きながら浮かんできてしょうがなかった。

 ただ一つはっきりしていること、「死という現象」は、死者のためにあるのではなく、生きている者のためにあるということ。「死」は人間に限界を教え、人の平等性を語り、今日の日の大切さを感じさせる。「死」は人を苦しめるものではなく、「生」を充実させてもらいたいという死者から生者へのプレゼントでもあるのだから。
 この瞬間の今も、やはり死への通過点なのだから。 だから人生は無駄には出来ない。どのように時間を過ごすのか、どのように人と出会うのか。

 仕事での業績は忘れ去られても、ただ笑いあった思い出は決して亡びることはない。
 
 「僕は今のこの瞬間を忘れない」そう思って、目の前の人たちを見つめ直すと、景色が日常の世界から、非日常の愛しい世界へと変化する。

 「時間はときに、嘘つきだ」そう思う瞬間がある。
 
 人によっては見慣れた街並みが、意識して見ると新鮮に映る時がある。人でも、世界でも、一瞬のあの人の笑顔を、しっかり心から見つめることができたなら、どんなに人は時間を大切にできるのだろう。 いつかこの世界とさようならする日のために、たくさんのキラキラした思い出を胸いっぱいに抱えて静かに眠りにつくその日のために。

 その日のために今日をくさらないで、笑いあっていましょうよね。
                  新緑の優しい一日、何かが起こりそうな一日。


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