20世紀、最後の月の朝に・・・・・ | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■ 20世紀、最後の月の朝に・・・・・
2000年12月1日
 便利で快適な時代。
 千利休の目指したもの冬は暖かく、夏は涼しさの演出。釜から吹き出る湯気に、打ち水に、わびさびの心。今は科学テクノロジーがいとも容易く、それを実現してゆく。
 飛行機に乗れば、東海道中、忍耐を味方につけ旅した距離を昼寝感覚で行けてしまう。山海の珍味も冷凍パックで日本中から届けられる。いや、世界中からでも可能だ。
 長崎の出島まで苦労の末、手に入れた世界の情報も現代はインターネットで指先一つで取り出せるのだ。
 「忍耐」や「努力」は、地方のお土産のプレートには定番のセリフだった。今やそんなセリフは時代錯誤とすらとられてしまう。

 僕たちの社会は、「科学という母親」が、先回りして欲望を次から次とかなえてくれる。そこにあるのは我慢のいらない便利な社会。自分の能力を鍛えることや夢を目指して一生を費やすことは無意味にすら感じてしまう。

 手に入らないのは、要領とコネをうまく利用できないからだと評論家やアドバイザーと言われる輩は語る。ネットワークの時代なのだと。

 スポーツで越えられない記録に挑戦して、到達できない時に潔く負けを認める選手。
 自分の限界に挑み、練習を積んできた者のだからこそ、負けたときには、自ら勝者に握手を求めるその姿には言い訳がない。その時のコンディションですら自分の力不足であるとでも言うように。
 そのような時ですらコネや要領が必要なのだろうか。薬物投与やマシーンの設備が足らなかったのだろうか。それ以外に便利な何かが必要だったのだろうか。

 前向きなあきらめ。いま現代社会が必要なものは、あきらめ(明るみに出す)今、自分には限界があることを認めることではないのだろうか。自分の身の程を知る。

 子供の時代はあきらめられない。ほしいオモチャの前で泣きじゃくる。彼らの中にあるのは親をコントロールして自分の欲求をかなえさせる。わがままな幼児性のあらわれ。これを心理の世界では「万能感」という。自分の望みはどんなことでも実現するという未熟な自我だ。E.エリクソンは幼児期の子供の遊びは、みんなが主人公だと言った。砂場では自分のしたいことだけをする。それが成長するとチームプレイになる。役割をこなさないと野球もサッカーもゲームにならない。みんながマウンドには立てないのだ。外野にもいれば脇役にまわらなければいけない時もある。

 人はいくらある人が好きでも、嫌われ恐れられるのなら、ぐっと涙を呑んであきらめねばならない時もある。ストーカーの背後にある病みは、相手に対する愛ではなく、自分に対する愛である。自己愛の極致だ。
 面白くないから、お金がほしかったから、認めさせてやりたかったら事件を起こした。保身のため、成功のため、ワイロが必要だった。新聞を騒がす人々の中にあるのは、普通ではイヤ。凡人の生活でなく特別でありたいという万能感だ。

 今や社会の風潮は、「みんな楽しいこと特別なことしましょ」楽しくないのは要領が悪いからなのです。うまいお金のためかた。うまい買い物のやり方etc.
 [失敗しない○○の方法]がところ狭しと雑誌の紙面を飾る。

 子供が夜中にジュースを飲みたいとわがままを言う。昔はたとえ親が了解しても夜中には店が開いていない。次の日まで誰もが耐えるしかなかった。今やその気になれば24時間営業のコンビ二エンス・ショップがある。
 親とケンカして部屋に引きこもる、昔は子供部屋には何もなかった。必然的に孤独と寒さに震えなければならなかったのだ。今や子供部屋には電話はある、テレビがある。暖房だって完備だ。何ヶ月も引きこもったって大丈夫だ。
 親だってめんどうな子供との会話を避けて、子供部屋で静かにテレビゲームでもしてくれたほうが楽なのだと感じていた。親自身も逃げている。当然、子供だっていつも主人公で居れるテレビゲームに逃げ込むほうが良いに決まっている。

  便利はいいね。どこまでいくの。
        楽がいいね。どこまでいくの。
             進歩がいいね。どこまでいくの。

 だめな、だめな、のび太くん。いつも「ドラエもんが何とかしてくれる」

 最終回、ドラエもんは未来に帰るんだよね。そこで、彼は気づくのさ。自分の等身大の自己を。彼は努力し、自分の力で博士になるのさ。そして、ドラエもんの初号機を作るんだよね。そして、彼は子孫に託すのさ、子供の時の自分にドラエもんが会いに行くことを。そしてやがて“さよなら”することも忘れなく同時に託すんだ。彼はやはり気づいたのさ。努力なく得られることの無意味さを。無意味な万能感の行く末を。

 僕たちの便利文明のドラエもんはどこまで、僕たちを「のび太」のままで肥大するのだろう。マスローは言う、自己実現とは今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だと。お金に満たされなければ、地位を上げねば幸せになれないと信じて、やみ雲に働く人は脅えているのだと。これらの飽くなき頑張りは欠乏感がエンジンなのだと。それらの人は自己実現のエンジンの開発をしようとしないのだと。禅の世界では、小欲知足。足らない中にいかに幸せを感じるかが大切だと。

 21世紀、僕たちはどんなドラエもんを作るのだろう。万能感の限界を教えるために科学はドラエもんを創るべきなのだろう。そんなことを考えながら、僕は20世紀最後の月を迎えた。21世紀に祈りを込めて。

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