平気でウソをつかれる人々 | ひとりごと | 心理カウンセラー 衛藤信之 | 日本メンタルヘルス協会

えとうのひとりごと


■平気でウソをつかれる人々
1999年6月20日
 マスメディアは連日、サッチ―ミッチー戦争で仁義なき戦いを繰り広げている。どのチャンネルも大騒ぎなのです。 野村幸代さんの傍若無人さには、たしかに眉をひそめたくはなるのですが、あのように自分勝手な人は、どこの街にも居るものです。 もちろん事の大小の違いはあるのですが。

 さて、ここで考えたいのは、サッチ―のように「平気でウソをつく人々」もいるのですが「平気でウソをつかれてしまう人々」もいるということなのです。

 騙された、ウソをつかれたと言われる人々は「高級な壷をテレビ取材が来るというので貸したら、返してもらえない」とか「中国気功ツアーを野村夫人用に特別に手配したのに突然キャンセルされ、キャンセル料が振り込まれない」とか、近所の酒屋さんは「野村さんのパーティがあるので、遠くのホテルまで、お酒を運んだのに金払いが悪かった」とまあ、次から次と出てくる出てくる。もちろんこれらの話が事実なら野村夫人の非は明らかなのです。
 
 ただカウンセラーとして気になるのは「平気でウソをつかれた人」の心理です。ウソをつかれた人々、騙された人々の側にも何らかの問題はなかったかということです。
 今、マスコミの中で怒っている人々の意識の中に「野村夫人とお近づきになることによって、これから都合がよい、儲かる商売ができるかもしれない」という無意識に甘い考えがあったのではないかという疑問です。
 なぜなら、普通の人に高級な壷は貸さないし、普通の人は特別に旅行をセットしてもらうことなどないでしょう。また、そんなに遠くへ、お酒の配達をすることは普通のお客にならアッサリ断っているのではないでしょうか。やはりそれは騙された側も、相手を「特別に見ていた」という意識が隠されているのです。

 問題の中心で、はやし立てているテレビ局だって「野村夫人を出演させると視聴率が上がるだろう。いつも、ふてぶてしく、わがままだけど我慢するか」と納得して出演交渉をしていたのだろうし、マスコミはサッチ―関連の話題で視聴率を上げている点では、今でも利用していることになる。
 「ブタ」呼ばわりされた元オリンピック選手にしても、言われた瞬間は笑って過ごしたのだという。となれば、彼女も人気が優位性を決める芸能界のシステムに、その瞬間は平伏したことになる。にもかかわらず、今になってみんなが騒ぎだしたから「私も、私も」と過去の怒りを再燃させるのは、少しばかり恥ずかしいことではないのだろうか。彼女自身のプライドを、より傷つけるだけの結果に終わる危険性を含んでいるのだから。

 もちろん、私も野村夫人を容認するつもりも、弁護したい訳でもない。正直に言うと私も個人的には、この手の人は好きじゃない。 自分がもし野村夫人のように身勝手な人に傷つけられたら、その場でそのことを伝えるだろうし、伝えないまでも、その後は近づかないし、私的なお付き合いは避けるでしょう。

 野村夫人のようなタイプは、今話題になっていることがらの数十倍は、人を傷つけている可能性があります。でもそのように迷惑をかけられた人の中でも「騒ぐ人」と「騒がない人」との違いは何なのでしょう。
 
 愛情の反対は憎しみだというけれど、でもどちらもその相手に“とらわれている”ということでは、正反対ではなく同じ質のものです。愛情の反対は無関心です。かかわらないということです。
 これは意識して無関心をよそおうのでは、抑圧になり逆にストレスをためることになりかねません。 ではどうすれば気にせずに、さらっと生きられるのでしょうか。

 それは未来に向かって明るく歩くということです。現在自分の人生を前向きに生きている人は、野村夫人のような人に会って、イヤな思いをしても「困った人だなぁ」と思ってかかわらないし、とらわれない。
 そういう意味で「裏切られた」「騙された」と騒ぐ人は、その相手に心をとらわれて支配されている。誰かを恨む人は復讐というかたちで相手との関係を維持しようとする。相手への憎しみにとらわれているわけです。

 自分はあの時、その人に関わろうとした、関わることを受け入れた。 自分自身にも何らかの下心があった。 見る目がなかった。 良い勉強になった。と反省し、前向きに生きる人は次の成長につながります。

 だから恨んでいる人、復讐する人は相手の引力から脱出できないし、飛び出そうとしないのです。

 幸せの中で生き、未来に向かって日々を歩いている人は、他人の過去など関心がないし、そんなヒマはないと思うのです。 ですから、テレビを見て他人のアラ探しをしている人は、今の自分の人生を楽しんでいない。
 人生を楽しまないから、その不満を解消するために他人のマイナスが気になる。 そんな時に、ワイドショーの他人のゴシップニュースは最高のうっぷんばらしになる。
 だから他人事の話に、あれだけマスコミが集中するのです。

 巨大な電力を使用し、多くの人材を使い、アホな井戸端会議の実況放送を数ヶ月に渡って流し続け、それをエンターテーメントとして楽しむ我が国、日本。これから私たちは、どこに行くのだろう。
 21世紀に向かう今、もっと真剣に話し合うべきこと、放送従事者は姿勢を正して考え直すべきではないのだろうか。

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