衛藤の独り言のシステムが完成しました。本当に遅れてごめんなさい。新年早々から始めようと思っていましたが、やっと2月になってパソコンのシステムが完成しました。これも考えようでは良いことかも知れません。
なぜなら、2月の“2”という数字は私にとっては因縁深き“数”なのです。それは、僕の誕生日が二月二十二日(しかし、これは昨年永眠した実母の命日にもなりましたが)
それでも、2というのは好きな数字であることには変わりはありません。
アミダクジではいつも2番目の線をたどって過去に得をすることが多々ありました。また、田舎の町の商工会主催の抽選会では2回目の回転で金の玉が出て豪華?温泉旅行が当たったこともありました。小さな商店街でハンドベルが高らかに鳴り響いて、顔を真っ赤にした衛藤少年は逃げ出したい思いで祝福の拍手の中に立っていました。あの瞬間、町内では確かに“時の人”になりました。
その頃からの名残で、今でも駅の改札では二番目を無意識に通ろうと試みたりも日常茶飯事です。ああそうそう、初めての出版も昨年の2月でしたね。だから、何かを始めるときには“2”というのは「自分らしいのかなぁ」て思っています。
なぜなら一番というのはその上が無い。だから“1”は維持することにとどまります。なにより一番にいると抜かれる不安で守りに入っていきそうな気がします。それに「なんでも一番、一番」と叫ぶのはエリート意識が強すぎるようで好きになれません。(“1”の好きな人、および、一月一日生まれの人。ごめんなさい。あなたたちには罪はない)
それにくらべると二番は上がるべき目標が常に目の前にあるから、いつでも目標を追いつづけるハンターのように目をギラギラ熱く燃やしていられる。何かに燃えているのは若々しくていいよね。
だから“2”という数字にはチャレンジ精神とか若さを感じるのです。いつも追いかける何かを持ちたいね。仕事も恋愛も勉強も挑戦している人はとても美しいし、伸びるよね。
最近、恋人に去られたひとのカウンセリングをたて続けに受けました。不幸だけれど日頃の日常生活よりも何十倍もいろいろと考えるからスゴイ。「自分はどうしたいんだろう」「相手は私にとって何だったんだ」てね。自分の性格、相手との関係を再度考え直す機会になる。孤独や嫉妬そして憎しみ、自己嫌悪が何度も何度も訪れる。
でも、それもこれも人生の思い出の一ページになる。もちろん思い出なんかにしたくないのはよく分かるけど。でも思い出という時間の中に織り込まれていくのは確かなのだから。
でもそれだけ心揺るがす相手に出会ったというのはやっぱりすごいことだと思うよ。そんなことも感じないで、人生が終わっていく人もいるんだから。
「結婚というゴールに到達しなかった恋や、続かなかった恋愛なんて時間のムダだ」なんて損得勘定で言わないでほしい。だって恋愛が就職活動みたいになってしまうから。その瞬間ときめいたことや、笑い合ったことまでもウソっぽく思えるもの。結婚が目的なら、さっさと結婚相手紹介所にでも登録してコンピューターにでも選んでもらえばいいいんじゃないですか。だから無駄だった。損したと、大騒ぎする人を見ていると、やっぱり人生を愛することの出来ない薄っぺらさを感じてしまうのです。
子供が砂遊びをしている。砂遊びしていることが楽しい。でも、人生を愛していない親には、良い作品を作るという結果を求める。こうして結果中心の思考ができあがるのです。
そんなふうに育ってくると、見返りがないと他人に親切にしたくない。良い成績がとれないと勉強の喜びも感じない。スポーツも勝って表彰さてなくては、汗をかくことも意味がないというふうになってしまう。こんな心構えで生きている人は人生を得か損かという単純な二元論でしかなくなってしまいますよね。
過去に好きだったり、愛した人の悪口を言っている人がいるけど、こういう人は自分の人生まで呪いかねない。自分が過去に夢中になった何かに文句を言っているのも同じで悲しいことだと思いませんか。
あんなに人を好きになって、夢中になって、苦しんで追っかけた・・・・一瞬一瞬の自分の思いで。一生懸命だったんだよね。それでもやっぱりバカみたいかなぁ。その頃の自分を嫌うのは結果がでなかったから? 結果が出てれば自分を愛せたの? ねぇ、ところで結果ってなんなんだろう? 結果うまくいって、結婚して失敗した人はどうなるの?そういう人もやっぱりダメですか結果が良くなかったから。 そんかことでは人生を楽しめませんよね。
仕事でも子育てでも結果ではなく、その瞬間その瞬間に自分自身は一生懸命やったんだってことですよね。生きてるって実感は、そういうことの積み重ねじゃないかなぁ。
今までの過去の自分自身にエールを贈れない人は、やっぱり今の自分をも愛せない人だと思います。損した得したとケチなことを言わないで、たくさん心を動かして生きてみませんか。いろいろな思い出につつまれ、怒りや憎しみまでも自分自身の中に消化して透明に年老いる。そんな生き方もとってもステキなことですよ。
そういう視点で恋愛も考えると“恋の2番目”結構これも良いかもしれませんよ。一番はつねに不安で目標を失いがちでヘタをすると倦怠ムードになるけど、二番目は追いかける目標がある。相手とつかず離れずに、熱くはないけど穏やかな良い関係でいられるんじゃないですか。
だから、“2”という数字はやっぱり最高なんですよ。
でもね、やっぱりたまには“1番”にもなりたいよね。
まあ、どちらにしても頑張りましょう。
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